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2016年07月21日

愛媛県今治市 小島探訪

愛媛県今治市沖の来島海峡に浮かぶ小さな島、小島(おしま)。

しまなみ海道の来島海峡大橋からも見える周囲が約3kmのこの小さな小島は「島の宝100景」にも選ばれている国立公園です。

のんびりと穏やかに見える小島には明治中期、日清戦争から日露戦争への時代に構築された芸予要塞が当時のままひっそりとたたずんでいます。

今回は、この小島をご紹介したいと思い、よく晴れた日に出かけてきました。

今治市の波止浜観光港から、小さな渡船「第三くるしま丸」で10分の遊覧で小島に到着します。渡船利用者には港のすぐそばに無料の駐車場もあります。

波止浜は、戦国時代以降、伊予の長崎ともいわれるほど港町として発展し、海上の安全を祈願して江戸時代に港の入り口に建てられた燈明台が後に、少し南の現在地へ移され残っています。

無人休憩所の中の自動販売機で片道190円の切符を買います。来島海峡大橋を眺めながら、先に見える小島を目指して船は進みます。

目的地の小島が近づいてきました
波止浜港と渡船「第三くるしま丸」
江戸時代に建てられた燈明台
海上から見える来島海峡大橋
途中、タグボートとニアミス?

小島港では、過去にNHKスペシャルドラマとして放送された「坂の上の雲」の撮影のため制作された28cm榴弾砲のレプリカが出迎えてくれました。

「坂の上の雲」撮影後、松山市が譲り受け、その後今治市に寄贈され、ゆかりの地「小島」に設置されました。

小島港に設置された28cm榴弾砲のレプリカ
レプリカとは思えない迫力があります

ここで芸予要塞について、紹介します。出典は今治市観光協会ホームページです。

日清戦争当時、日露戦争を予感した大日本帝国がロシア海軍の侵攻を防ぐために築いた海岸要塞です。明治32年から2年間の突貫工事で、当時の30万円の巨費を投じ、砲台や赤煉瓦の兵舎、火薬庫などが作られました。こうした施設が当時のまま残っている貴重な遺跡です。
日清戦争(1894-1895年)の後、ロシアの東亜侵略の野望が着々と具体化していくことにおののいていた大日本帝国は、ロシアとの戦争は不回避と判断し、ロシアの海軍の進攻に備えて瀬戸内海に要塞建設を計画しました。陸軍の上原勇作は芸予諸島を調査、その後大久野島(広島県)と来島海峡の小島に要塞を建設します。
上原はフランスで構築を学んでおり、その調査に基づき、軍事施設配置計画が立てられ、明治32年(1899年)に建設が始まり翌年3月に完成したといわれています。
赤煉瓦と御影石を所々に用いたヨーロッパ式の建物は、「芸予要塞」と名づけられ、海の守りについていましたが、東郷平八郎や秋山真之(松山出身)らの活躍によりロシア軍が日本に攻め入ることはなく、この要塞は軍縮小により役目を終え、大正15年に当時の波止浜町に払い下げられました。
日露戦争(1904-1905)では作戦参謀であった秋山真之がバルチック艦隊攻略で考えた丁字戦法はこの海域を支配していた村上水軍の戦法を取り入れたとも言われているが定かではありません。
日露戦争時、中国の旅順で苦戦を強いられているのを見かねた大本営は、最難関の要塞二〇三高地を奪取する必要から、ここ小島の大砲(28センチ榴弾砲)を旅順に持ち込み、児玉源太郎の厳令で二〇三高地に1発218キロの砲弾を2300発打ち込み、わずか1時間20分で完全に占領したと言われています。

小島の要塞観光は無料で、島の遊歩道を約2時間から2時間半ほどかけて歩いて回ります。道に迷わないよう、港に設置された「小島観光案内マップ」を頼りに巡ることにします。

遊歩道の出発点には瀬戸内海国立公園の証である石碑がありました。

MAPは今治市観光協会HPから印刷できます
この石碑からスタートします

まずは港から遊歩道を西に向かいます。途中、海水浴場へ行く光のトンネルがありました。明るすぎて、写っていませんが、先は海です。

小島の西側にある探照灯跡に向かう遊歩道
途中の光のトンネル。抜けて行きたくなります

最初の目的地、探照灯跡に到着です。探照灯とは「サーチライト」のことで、ここに海峡を照らすための高い搭が建っていたのでしょうか。

下に部屋があり、右の階段を上ったところに探照灯が建っていた跡があります。

探照灯跡の下にある部屋
探照灯跡。覆いは安全のため後から被せたもの?

次に向かったのが火力発電所跡。赤煉瓦の建物がきれいに残っていました。

赤レンガが美しい火力発電所跡

その先に南部砲台跡や地下室跡があります。砲台は2門ですので、規模は小さめです。

大砲は、大東亜戦争の際に、金属回収の対象となり、今は砲座跡が残るのみです。

南部砲台跡
地下室跡

少し引き返してから東へ進み、弾薬庫跡へ来ました。現在は壁が残るのみですが、頑丈に造られた大きな施設だったようです。

壁面の下部がアーチ状になっていたり、内部の基礎?の様子から、弾薬を湿気から守るために、高床式になっていたのでしょうか。

弾薬庫跡の外壁面。下部にアーチ状の通気孔?
弾薬庫跡の内部。高床式の基礎の跡か?

中部砲台跡へ向かう途中に兵舎跡があります。残念ながら建物はなく、畑になっていました。

分岐路には案内看板が設置してあります
畑の広さから大きな兵舎があったのでしょうか?

中部砲台跡は砲台6門が設置されていて、ここから海峡は見えません。おそらく敵から攻撃されないためだと思われます。

規模が大きな中部砲台跡
ここから奥へ砲台が6門(2門×3箇所)

ここには大きな地下兵舎跡もあり、攻撃の中心拠点だったのでしょうか。

間に指令塔跡(展望台)へ上る急な階段があって、上ると360度見渡せる場所に出ます。

大きな地下兵舎跡
指令塔跡(展望台)へ上る長い階段

指令塔跡(展望台)は360度パノラマで何か高い見張り台でも建っていたのでしょうか。

展望台頂上の円形の構造物
見張り台が撤去された跡?

最後に北部砲台跡に向かいます。

北部にも発電所跡、地下兵舎跡、砲台跡、探照灯跡、指令塔跡があります。

砲台跡は爆撃の演習で使用され、一部は破壊されていました。

北部砲台跡の入り口付近
北部砲台跡の奥の方
一番奥に発電所跡がありました。
爆撃の演習で破壊された砲台跡

帰りは海岸道路を歩いて港に向かいます。来島海峡と大橋を眺めながら、波音と海風のさわやかさに汗が引きます。今回は2時間弱で港まで戻ることができました。

帰りの海岸道路
帰りの渡船が小島港に入ります。

今治市観光協会のHPには、「遺跡をまわる約1.8キロの遊歩道には2,500本の椿が植えられており公園としても整備されています。ビワ首海水浴場や「風の顔ランド」キャンプ場があり、子供達の交流の場として、また釣りのポイントもたくさんあり釣り客も多く訪れています。」とあります。

また、「ボランティアガイドさんたちが時折、清掃活動をなさってくださいますが、時には草が生い茂っていますのでスニーカーや長ズボンなどを着用し、また夏場は蚊が多いので虫除けスプレー等持参することをおすすめ致します。」とありましたが、失念し、時々虫の襲撃にあいました。

これからの季節、芸予要塞を見学に小島を訪れる際は、防虫対策を忘れずに!

最後に海岸道路から見える来島海峡大橋の大パノラマをどうぞ!!