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法大師が修行として行脚した道のりをたどる四国八十八カ所霊場巡り第1番札所である。県道沿いに仁王門がある。
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四国霊場第2番札所である。寺は天平年間(729~749)の行基の開祖とされている。
大麻山(標高538m)の南裾野、板東谷川とその支流に挟まれたにところに社殿がある。
徳島城本丸表御殿に面してつくられた、歴代阿波藩主の庭である。枯山水と築山泉水を組み併せた桃山時代の庭園である。
うだつの町並みは、吉野川中流域の美馬市脇町にある。脇町は13世紀中頃に城が築かれた要衝の地。
だつの町並み見学に訪れる人のためにつくられた休憩所。江戸中期頃から阿波藍の集積地として栄えたここ脇町。
四国霊場第66番札所。標高927mの雲辺寺山頂上付近にあり、四国霊場の中でも最高所となる。
標高600mの箸蔵山の山頂にある真言宗の古寺。天長5年(828年)、弘法大師が開いたとされる。
日本3奇橋の一つ、秘境を流れる祖谷川に架かる人道用の吊り橋である。
秘境、奥祖谷に架かる人道橋。シラクチかずらを主材料に平家の落人が架設したとの伝説がある。
四国霊場23番札所。国道55号を南に下ると右手に朱色瑜祇塔が見えてくる。神亀年間の行基の開祖と言われる。
四国霊場第21番札所。標高610mの太龍寺山頂付近にある。12番焼山寺、20番鶴林寺に次ぐ難所とされる。
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四国霊場第86番札所。本尊は十一面観世音菩薩。推古天皇三十三年(625年)に刻まれたと言われる。本堂、仁王門は寛文10年(1670年)に
四国霊場第88番札所結願の寺である。本尊は薬師如来。養老年間(712~723)に行基が開いたと伝えられる。弘仁年間(810~823年)に
四国霊場87番札所。天台宗。本尊は聖観世音菩薩。天平年間に行基が刻み、堂宇を建立して安置したのが始まりと伝えられている。弘法大師
町並み景観を生かした、東かがわ市の観光交流の拠点。醤油、酒で財をなした旧佐野家の屋敷後、住まい、醤油蔵と酒蔵を改修したのがこの讃
高松中央通りを南に見ると緑濃い紫雲山が見える。栗林公園はこの山を借景につくられた回遊式の大名庭園である。元亀、天正の頃(1570年
昭和30年(1955年)、高松城が高松市に譲渡され、公園となった。名称は、万葉の歌人、柿ノ本人麻呂が詠んだ「玉藻よし 讃岐の国は 国柄か
四国霊場第83番札所。本尊は聖観世音菩薩。大宝年間に開かれ、その後、行基により讃岐一宮の別当寺として改められている。真言宗。
旧高松藩松平家の菩提寺。初代藩主松平頼重により、法然上人を敬慕し、江戸増上寺より閑栖眞誉相閑上人を迎え中興開山している。
壺井栄の小説「二十四の瞳」の舞台となった田浦分校。廃校になって、今は、100年以上経つ(明治35年建築)校舎が残る。
小豆島の農村歌舞伎には中山の舞台と肥土山の舞台とがある。中山の舞台は小豆島町池田中山の春日神社の境内にある。茅葺き寄棟づくり。
映画「二十四の瞳」の十二名の子供たちとおなご先生の大石先生の群像である。香川県丸亀市出身の彫刻家、矢野秀徳氏作。
四国霊場第81番札所。本尊は千手観世音菩薩。智証大師の手による。現存の本堂は慶長4年(1599年)生駒近規が再建し、頓証寺と勅額
四国霊場第78番札所。本尊は阿弥陀如来。神亀年間(715~717)行基の手によるものとされる。郷照寺の名は大同2年(807年)唐から戻っ
本島は瀬戸中央自動車道のPAがある与島の西、備讃瀬戸航路を超えた西隣の島である。笠島地区は江戸時代の町並みが並ぶ重要伝統的
現存する天守12城のうち、4城が四国にある。丸亀城はその一つ。室町時代、この亀山に砦がつくられたあと、1602年、讃岐高松藩主生駒氏によ
真言宗善通寺派総本山、四国霊場第75番札所。善通寺は空海の誕生の地。父で豪族であった佐伯善通の土地の寄進を受け、長安の青龍寺
四国霊場第76番札所。宝亀5年(774年)和気道善の開基と伝えられる。本尊は薬師如来。唐より帰国した智証大師が伽藍を造営し、その後
『金比羅ふねふね追手に帆かけてしゅらしゅしゅしゅ・・・』とうたわれるこんぴらさん。大物主尊と崇徳上皇を最新都市、その信仰は江戸時代に全
現存する我が国最古の芝居小屋である。天保6年(1835年)、大阪・道頓堀の大西座をモデルに建てられたというこの金丸座。愛宕山のふもと
四国霊場第68番札所神恵院と第69番札所観音寺は同じ境内にある。大宝3年(703年)法相宗日証上人が琴弾八幡宮の別当として創建した。
四国霊場第67番札所。本尊は薬師如来。弘仁13年(822年)に奈良の東大寺の末寺として建立され、空海も19歳の時に遊学した。その後、最澄
500株を超えるボタンが咲く。ボタン寺とも呼ばれる。本尊は薬師如来。明治までは菅生神社の別当寺であった。
四国霊場第71番札所。本尊は千手観世音、不動明王、毘沙門天、天平年間に行基が開山した。標高約380mの弥谷山の中腹にあり、幼少
四国別格20番霊場第17番札所。大同2年(807年)弘法大師による開基。本尊は伽羅陀山火伏地蔵菩。平安時代には伊予、阿波、讃岐に多数
5個のアーチで組みあわされたダム。アーチは6基の扶壁で支えられており、形も珍しいが石積みであるところは風格が感じられる。1926年から
四国霊場第70番札所。大同2年(807年)弘法大師の開基である。本尊は馬頭観世音菩薩。鎌倉建築の本堂、仁王門、五重塔が戦国の兵火を
四国霊場第65番札所。伊予「涅槃の道場」最後の札所である。標高450mの三角寺山の中腹にある。
1980年に再建された5層6階の天守閣が偉容を誇っている。今治城は、1604年藤堂高虎により築城された海岸の平城である。
伊予の国一の宮で、平安時代には「日本総鎮守」と呼ばれるようになる。大山積神を祭神として、古くから海、山の神様として信仰されている。
松山城は松山市の中心部、標高132mの城山(勝山)山頂に本丸があり、裾野に二之丸(二之丸史跡庭園)、三之丸(堀之内)がある。
伊予松山藩主松平氏の御殿跡を庭園にしたもの。表御殿跡と奥御殿跡に分けられる。北半分にあるのが表御殿跡で昔の部屋の間取りが柑橘類
四国霊場第52番札所。松山市の滝雲山の中腹にある。豊後の長者真野氏が本堂を建立したのが始まりといわれる。
焼き物の里、砥部町にある遊歩道。砥部町武道館から陶祖ヶ丘を通り、陶芸創作館までの約500mの遊歩道である。
上芳我家は、大洲街道沿いの内子にある。内子の八日市・護国地区は江戸、明治にかけて木蝋の生産で栄えた。
岐阜県長良川、大分県三隈川と並ぶ日本3大うかいの一つである。50年前の昭和32年に観光事業として始まった。
江戸末期から明治にかけて栄えた内子は、その財政的なゆとりから文化活動も盛んであった。その象徴のようなものが内子座の建設である。
大洲街道沿いにある内子は、江戸時代から明治大正時代にかけて木蝋、和紙、生糸の生産で栄えたといわれる。
NHK朝の連続テレビ小説「おはなはん」のロケ地となったことからこの名前が付いた。あたかもおはなはんのふるさとのような風情が漂う。
明治時代の学校。西日本最古級の学校建築で国の重要文化財である。建物は、明治15年(1882年)築の白壁と瓦が”和”、アーチ型の窓
愛媛県の歴史や文化への理解を深めることができる博物館。原始から近現代までわかりやすく展示し、解説している歴史展示室、人々の暮らしな
伊達家とともに歴史を刻んできた宇和島。慶応2(1866)年、7代藩主伊達宗紀の隠居所として造られたものである。池泉式の大名庭園が美し
藤堂高虎によって、1600年頃に建てられた平山城。外殻の半分は海に面する海城であったとされる。
宇和島の闘牛は、藩政時代には土俵を設け本格的に行われていたと考えられている。直径20mの土俵に2頭の牛がにらみ合い闘う。
佐田岬の付け根、八幡浜の北入り口に位置する川之石の港は古くからの立ち寄りの港。四国で初めて宇和紡績工場ができたり、四国で初の電
旧宇和町の中心で宇和島街道沿いの町並みである。卯之町は宇和島藩の駅路であったと言われ、江戸中期から大正・昭和初期の商家が多く
リアス式の入り組んだ海岸線沿いにあり、豊後水道に接する西海に面する外泊地区は石積みが特徴的。
全て手作りの櫓時計。
旧安芸城を本拠とする土佐山内家の家老、五藤家の家来衆の武家屋敷である。
室戸岬の北西約15km程の地にある吉良川町。重要伝統的建造物群保存地区は旧土佐街道沿いの浜地区と山手川の丘地区にある。
材木の切り出し用に使われていた森林鉄道やインクラインを観光用に復元したもの。
関ヶ原戦の功績により徳川家康から土佐一国を拝領した山内一豊が大高坂山に築いた城。
京都石清水八幡宮を勧請したもの。10月大祭での「神様の結婚式」は有名。
一条教房が中村下向のとき御所を構えた。天正年間に一条氏は中村を追われたが、遺臣により一条氏数代の霊をまつる祠が建てられた。