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情報誌「瀬戸マーレ」

ほっこり、ゆっくり、いで湯と俳句の里、松山を往く

今回の巡路は46番から51番まで。札所はすべて松山市内にあり全行程で11㎞ほどですから、朝出発すれば余裕で歩けるコースです。車なら札所周辺の砥部焼の里をたずねたり、札所と札所の間にある日帰り温泉巡りもできます。また、松山は正岡子規の生地で、著名な俳人もたくさん訪れています。札所の境内にはそれぞれのお寺や周辺の風物を詠んだ句碑があり、巡路の道端にも随所に句碑が建っていますので、俳句を楽しみながら巡るというのもありですね。

47番八坂寺の近くに弘法大師ゆかりのお寺である文殊院があります。四国遍路の始まりとされている衛門三郎の生家跡です。お遍路の由来を知っておくことも大切なので、お参りされると良いでしょう。51番石手寺は日参り、月参りをされる地元の方が多く一年中賑わっていて、歩き遍路もここまで来れば、あとは道後温泉で体を温めるだけと和やかな心持ちになります。シラサギが傷を治したという道後の湯で、一日の疲れを癒し、足をいたわってあげて下さい。


道後温泉本館
起源は約3千年前の縄文時代にさかのぼるという日本最古の温泉。明治27年改築の道後温泉本館は堂々たる風格で湯治客、観光客が絶えない。道後温泉本館はミシュランガイド2つ星を獲得。

放生園足湯
足を浸ければ体もほかほか、遍路の疲れもとれる。道後温泉本館と同じお湯を引いている。無料・無休(12月に1日臨時休あり)利用時間は、朝6時~23時

読経に挑戦
先達さんの声に合わせて、たどたどしいけれど読み上げてみた。作法どおりにお参りを済ませると、すがすがしい気分だ。

杖ノ淵(じょうのふち)
大干ばつに苦しむ里人のために、弘法大師が錫杖で地を突き祈念したところ水が湧き出たと伝わる。48番西林寺の奥の院である。日本の名水百選に選ばれた湧水は石鎚山系の伏流水で、飲用のために毎朝水を汲みに来る人が並ぶ。


たかのこの湯(源泉かけ流しの露天風呂)
アルカリ性単純温泉。大浴場のほかにも、座湯・歩行湯・寝湯・子ども風呂・サウナなど浴場が多く温泉を満喫できる。ホテルを併設。
【DATA】愛媛県松山市鷹子町736-4、Tel/089(997)7777、営業/5:00~25:00(札止め24時)、年中無休。入浴料金/一般650円、シニア(65歳以上)550円、小学生以下50円

ていれぎの湯(源泉かけ流しの金泉)
ナトリウムとミネラルを豊富に含んだ泉質で、体が温まりやすく湯冷めしにくい。娯楽施設やレストラン、宿泊施設も併設。
【DATA】愛媛県松山市中野町甲853、Tel/089(963)3535、営業/6:00~24:00(札止め23時)、年中無休。入浴料金/大人700円、小人300円

媛彦温泉(写真は女湯大浴場)
アルカリ性単純温泉。美人の湯として親しまれている。大浴場の壁や床に遠赤外線を放射する素材を使用し、浴室を暖かく保っている。
【DATA】愛媛県松山市畑寺3-4-5、Tel/089(960)1441、営業/9:00~翌朝7:00、年中無休。入浴料金/大人550円、高齢者(65歳以上)500円、小学生以下50円
今回巡った札所

46番浄瑠璃寺(じょうるりじ)
行基菩薩が創建、弘法大師が再興して四国霊場に定めた。境内にそびえる樹齢千年のイブキビャクシンは霊木として延命や豊作を祈願する人が多い。
本尊:薬師如来

47番八坂寺(やさかじ)
修験道の開祖、役小角が開山と伝える古刹。中世、紀伊国より熊野十二所権現を勧請。修験道の根本道場として今も柴燈大護摩供火渡り修行を厳修。
本尊:阿弥陀如来

48番西林寺(さいりんじ)
行基菩薩が本尊十一面観音像を彫り安置、開山。のち弘法大師が寺地を現在地に移して四国霊場のひとつとした。納経所前の庭園に福授地蔵尊がある。
本尊:十一面観世音菩薩

49番浄土寺(じょうどじ)
奈良中期の開創、孝謙天皇の勅願所となる。弘法大師が真言宗に改宗。平安中期、当寺に3年間滞在した空也上人が自刻の木像を残したと伝える。
本尊:釈迦如来

50番繁多寺(はんたじ)
孝謙天皇の勅願により、行基菩薩が建立。弘法大師が逗留し寺名を光明寺から繁多寺に改めた。鎌倉期には一遍上人が当寺に参籠、修行している。
本尊:薬師如来

51番石手寺(いしてじ)
728年、伊予の豪族越智氏が開創と伝える。行基菩薩が薬師如来を祀り、法相宗安養寺と号した。その後、衛門三郎再来の説話により石手寺と称される。
本尊:薬師如来

知っておきたいお遍路の豆知識

◆これが四国遍路の始まりです

懺悔する衛門三郎の像(石手寺)
・衛門三郎の巡拝が最初

衛門三郎という欲深い長者が、門前で托鉢する僧を弘法大師とは知らずに、竹箒で鉢を叩き落とすと8つに割れた。その後、彼の8人の子が次々に死んだことにより衛門三郎は改心し、弘法大師に会うために四国巡拝に旅立つが、大師に会えぬまま21回目の巡拝途中、病に倒れる。その時、弘法大師が枕元に現れ、小さな石に「衛門三郎再来」と書いて握らせると、安心して息を引き取った。 時を経て、伊予の豪族河野家に男児が生まれたが、右手を握って開かないので安養寺に願を掛けたところ、手の中から「衛門三郎再来」と書かれた小石が出てきた。そこで、この石を寺に納め寺号を「石手寺」に改めたという。「石」は石手寺宝物館で拝観できる。

・文殊院

天長元(824)年、弘法大師が当院に逗留して里人を教化し、文殊院と号した。衛門三郎の屋敷があったと伝えられる地に建つ。四国八十八ヶ所別格二十霊場の第9番札所。本尊は文殊菩薩と地蔵菩薩。

・八ツ塚

文殊院から徒歩10分ほどの所に、墳丘が8つ並んでいる。衛門三郎の8人の子の墓と伝えられ、墳丘の上にはお地蔵さまが祀られている。

福田 恵峰(けいほう)さん 福田 恵峰(けいほう)さん
神戸市在住。会社勤めをしながら週末だけの札所めぐりを続けて、現在までに20回以上巡拝。そのほとんどが歩き遍路である。歩くたびに新しい出会いがあり、新しい自分を発見すると言う。四国八十八ヶ所霊場会公認先達。NPO法人遍路とおもてなしのネットワーク、女性お遍路相談員。www.omotenashi88.net

〈公認先達〉四国八十八ヶ所霊場巡拝を重ね、弘法大師の教えに帰依し、新しく巡拝する人たちにお遍路の心得などを指導し、手本となることができると認められた人。四国八十八ヶ所霊場会が審査、認定している。
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