四国遍路では、1番札所から順番に参拝することを「順打ち」と言い、
88番から逆回りに参拝することを「逆打ち」と言います。
逆打ちは、三倍の功徳があると伝えられ、
うるう年に回ればさらに良いとされています。
平成28年はうるう年!この機会にチャレンジすると良いでしょう。
八十八ヶ所巡拝の最後の寺、「結願の霊場」です。弘仁6(815)年、唐から帰った空海が岩窟で修法し堂宇を建立、等身大の薬師如来坐像を彫像して本尊としました。それが現在の奥の院です。女性の入山が早くから許され、女人高野としても信仰を集めてきました。大師堂横の弘法大師像は、遍路旅の歩みを終えて足を揃えた姿勢で立っています。
【本尊:薬師如来】
行基菩薩が楊柳(柳の木)で聖観世音菩薩像を刻み安置したと伝えられています。空海が入唐前に護摩修法を行い、帰国後にも立ち寄り堂宇を建立。江戸時代には、藩主松平公の庇護により堂塔が整備されて真言宗から天台宗に改宗。山門の前に鎌倉時代、元寇の役に出征した兵士を慰霊して建立された石碑「経幢」(国指定重文)が残っています。
【本尊:聖観世音菩薩】
推古33(625)年の開基と伝える古刹で、海人族の凡薗子が十一面観音像を安置したと伝える。藤原鎌足の子、不比等が堂宇を建立し妻の菩提を弔った。死渡道場と名付けられて、不比等の子房前の時代には学問の道場として栄えました。「死渡寺」ともいわれ、極楽浄土に一番近いお寺として人々の信仰を集めた寺の境内には、閻魔大王を祀る「閻魔堂」があります。
【本尊:十一面観世音菩薩】
遍路に関する貴重な資料を展示。休憩コーナーは、全国から訪れたお遍路さんの歓談の場となっている。88番と87番の間、県道志度山川線沿い。
料金/入館無料
営業時間/8:00~16:00(入館は15:30まで)
休館日/12月31日・1月1日
TEL/0879(52)0208
江戸中期に、日本で初めてエレキテルの装置をつくった事で知られる平賀源内は志度の生まれ。本草学者・蘭学者・発明家・芸術家など多彩な顔を持つ奇才、源内の業績を分かりやすく展示している。近くに、旧邸(生家)も墓碑もある。
料金/(旧邸・薬草園含む)/一般500円、大学・高校生400円、小・中学生250円
営業時間/9:00~17:00
休館日/月曜日(月曜休日の場合は翌日)
TEL/087(894)1684
一、伊予の国に衛門三郎という長者がいました。強欲で、年貢を厳しく取り立てるので村人から恐れられていました。
二、ある日、屋敷の前にみすぼらしい托鉢僧が訪れ、衛門三郎は追い払います。しかし、その後も毎日その僧は現れました。
三、怒った衛門三郎は、ほうきの柄で托鉢の鉄鉢を地面に叩き付け、鉢を8つに割ってしまいます。
四、それ以来、衛門三郎の8人の子供たちが次々と原因不明の病で死んでいきました。悲しみにくれていたある日、夢枕にお大師様が現れました。
五、「そうだ、あの時の坊さんはお大師様だったのだ! 」後悔した衛門三郎は家を捨て、お大師様に会って謝りたい一心で巡礼の旅に出ます
六、お大師様の姿を求めて札所を巡るものの、どこにもお大師様の姿はない。20回巡り終えた所で、衛門三郎は「逆に回れば会えるのではないか」と考え歩き出しますが、途中で病に冒され阿波国の焼山寺(12番札所)の近くで倒れてしまいました。
七、どこからか自分を呼ぶ声がし目を開くと、なんとお大師様が! 懺悔の言葉を聞いたお大師様が「何か望みはないか」と問うと、「生まれ変われるものなら、国主になって村人の役に立ちたい」と答えて衛門三郎は息を引き取りました。
八、お大師様は小石に「衛門三郎再来」と書いて手に握らせ、衛門三郎の持っていた杖を地面に突き立てて墓標とし、祈りを捧げました。
九、翌年、伊予国の領主の家に左手を握ったままの男の子が生まれました。心配した領主が安養寺(現在の 番石手寺)に連れて行き、祈祷を受けさせたところ‥‥
十、パッと左手が開き、中から「衛門三郎再来」と書かれた石が出てきました。その子は成長し村人から慕われる立派な領主になったという事です。
(絵と文:福田恵峰)
神戸市在住。会社勤めをしながら週末だけの札所めぐりを続けて、現在までに20回以上巡拝。そのほとんどが歩き遍路である。歩くたびに新しい出会いがあり、新しい自分を発見すると言う。四国八十八ヶ所霊場会公認先達。NPO法人遍路とおもてなしのネットワーク理事・女性お遍路相談員。www.omotenashi88.net
〈公認先達〉四国八十八ヶ所霊場巡拝を重ね、弘法大師の教えに帰依し、新しく巡拝する人たちにお遍路の心得などを指導し、手本となることができると認められた人。四国八十八ヶ所霊場会が審査、認定している。