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せとうち美術館紀行 第8回 徳島県立近代美術館

近現代美術の多彩な魅力を堪能

徳島県立近代美術館に関しての対談3

日本画を通じて伝統と新しさの魅力を伝えたい

山木:
現代美術とともに日本画や屏風も収集されていますね。「20世紀の人間像」で現代の日本画を収集できるし、地域に密着した「徳島ゆかりの美術」としてもいろいろ集められる。そういう点で森さんは精力的に美術の収集や展示にかかわってこられたと思いますが、日本画への思いといいますか、この美術館でこういう活動をしたいという日本画にかかわる部分を伝えていただけますか。

対談イメージ

森:
当館では日本画だけでなく他の分野でもそれぞれ学芸員のみなさんが努力しています。日本画についていえば、最近は教科書にも伝統技術が取り上げられています。

山木:
学習指導要領ですね。

森:
ええ。20年前は日本の伝統はそれほど強調されていなかったんですね。だけど日本の美術館ですので、開館にあたっては伝統的なものの良さというのを知ってもらいたいという気持ちがありました。その思いと、日本画といっても伝統を大事にするだけじゃなくて、新しく革新していく面も大事ですので、その両面を伝えられたらという思いを持っています。

山木:
森さんが企画された紙と墨にこだわった展覧会がありましたよね。

対談イメージ

森:
2007年でしたか、和紙に注目した展覧会をさせてもらいました。徳島県も和紙の産地の一つで、地元の文化にも注目してもらいたいと思ったんですね。
それと和紙といっても古代から現代まで長い歴史がある中で、和紙という言葉は流通していますが、その品質が悪くなってきています。
歴史的に振り返る中で、そのあたりの目には見えないけれど大事な質の問題を知っていただきたい、紙の違いによってこれほど色や表現が違うのかというのを知っていただきたいと思いました。
これはテレビのブラウン管とかコンピュータを見てもわからない、実際に作品を見ないとわからない世界なんですね。美術館しかできない仕事だと思っています。

山木:
そうですね。あのときに非常に興味を持ったのは、新たに現代の日本画家の方に徳島ゆかりの風景を制作依頼をされていたことです。すごくチャレンジャブルな企画だと思いました。その作家の方の名前や作品を教えていただけませんか。

森:
現在第一線で活躍している東京芸大の齋藤典彦さんや中野嘉之さん、森山知己さんなど5人の作家の方に徳島を旅してもらいました。鳴門の渦潮や、一番動かれた方は鳴門からあちこちを見ながら吉野川をずっと追っていって、祖谷へ行って、剣山まで登られました。そのなかで場所を選んで徳島の阿波和紙を使って描いていただいたのです。

山木:
そういうふうに作家の方々がテーマに沿う活動をするというのも、学芸員の力があってこそという気がします。徳島を取材した制作を行ってもらうように、どうやって口説かれたのですか。

江川:
そのために初めて口説くのではなくて、長い付き合いがありますから。森さんの粘り強いかかわりがあるからなんですよ。

山木:
なるほど。ご自分ではなかなか言えないですね(笑い)。
展示もすばらしかったですね。道具などをきちんと展示されていたので一般の市民にも興味がわいたのではと思います。

森:
平安・鎌倉時代の紙から展示しました。

山木:
そのようにただ作品を見せるのではなくて、どんな材料でできているのだろうか、時代背景はどんなだろうかと、その奥行きを展示で見せてくれる企画が市民の興味や好奇心をわかせ、満足させてくれると思うんですね。非常にきめの細かい企画だと思いましたね。 同時に森さんは、現代の具象絵画の風景の若手なども紹介される企画展をされていますね。あれは何年前ですか。

森:
もう10年は経ちます。

山木:
あの後、東京都現代美術館の新規収蔵品を見ていたら、森さんがセレクトした作家の作品がいくつか入っていたので、やはりすばらしい企画だったと、そういうことからも思ったんですよ。そうした企画もでき、教育普及にも精力を注ぐことができる学芸員が揃っている美術館というのは少ないと思います。

子どもたちと積極的にかかわる作家が増加

山木:
企画展などでは作家の方とワークショップを開かれたり、子どもたちに直接かかわってお話しをされたり、そういうことがあるようですね。 最近、作家さんご自身や、作家を紹介する学芸員が企画に合わせた美術教育に絡むようなワークショップをされましたか。

館長:
子どもたちとのワークショップは最近はしていないですね。立体造形作家の濱谷明夫先生は、昨年、新作を展示のためにつくってくださったのですが、その後何度かお越しになり、そのうちにご自分から「1度講座を開かせてください」といって、展示解説とは別にものづくりのお話しをしてくださいました。

山木:
なるほど。私が知っているのは、吹田文明さんがこちらの版画の展示に合わせてお越しになって、近隣の小学校で子どもたちとの交流の場を持って頂いたかと思います。森さんはあの頃のことを覚えていらっしゃいますか。

森:
学芸員の竹内が企画して進めたものですね。吹田文明さんはサンパウロ・ビエンナーレで受賞するなど世界的に活躍している方で、もともとは徳島県の小学校の教師でした。その吹田先生が小学校時代に教えていた地域や徳島市内に出向き、子どもたちと一緒に版画をつくって、木版表現の魅力を語ってくださいました。

山木:
徳島にかかわりのある作家の方々が直接市民や子どもたちに触れあう機会を提供するというのはいい話ですね。

江川:
この前は、徳島出身の現代作家・岩野勝人先生に展覧会の準備の過程でいろんなワークショップを開いていただきました。

森:
学校を訪ね、一緒にワークショップを開くという形で、そこでつくられた作品を美術館のギャラリーに展示したんです。

山木:
市民参加型のアートですね。

森:
そうです。そういう試みをいろいろな場で続けています。

江川:
作家にとっては負担の大きいことなので、好まれる作家もいるし、そうでない方もいらっしゃってケースバイケースなんですね。意欲のある作家は「ぜひ!」ということでやってくださいます。

森:
例をあげるとたくさんいらっしゃいますね。先ほど名前の出た大久保英治さん。彼も徳島県西部の西祖谷山村で作品をつくりましたが、同時に役場の2階の講堂に子どもたちを集めてワークショップを開きました。そのときの大久保さんの作品は「自然を見つめる作家たち」展で展示しました。

山木:
作家のタイプといいますか、市民や子どもたちとのかかわりに苦手意識の強いアーティストもいるでしょうし、積極的にかかわっていきたいアーティストもいるでしょうね。その辺はまさにケースバイケースですけれども、最近は市民や子どもへ自分のほうからかかわってくる作家の動きをよく見かけるようになった気がします。それは情報媒体が多くなったからでしょうか。それともやはりアーティストの意識の変化が見られるのでしょうか。

森:
確かに先生のおっしゃるようにアーティストの方の考え方も変ってきているんじゃないでしょうか。社会とかかわる中で自分の表現を見つめていきたいと。労力がかかるだけだとなかなか続きませんが、その触れあいの中で自分の表現を見つめていこうという姿勢をお持ちの人が結構いるのではと思います。 今年の春に森口ゆたかさんという女性作家の展覧会を開催しましたが、そのときは病院でワークショップをしました。森口さんのように表現自身の中に社会とのかかわりというのを意識して制作されている方もいますので、子どもという存在を視野に入れている作家も増えてきていると思いますね。

現代美術を子どもたちに見せることは大切

山木:
大人が考える以上に子どもと同時代の美術が近しい関係にあるという場面をこちらの美術館で拝見しました。何年前になるでしょうか。クリスチャン・ボルタンスキーみたいに暗い気分にさせられる灯ではなくて、暖かいオレンジ色の明かりをつくったドイツの作家がいますよね。

江川:
ハンス・ペーター・クーンですね。入り口の方は青白く、奥へ行くと逆に砂漠を思わせるような黄色い光をつくっていました。

山木:
そうです、そうです。暖かい炎のようにも感じました。あの時に鳴門教育大学附属幼稚園の子どもたちがここに来たんですね。私も一緒に来て見ていましたが、子どもたちは本当に関心を持って一つひとつの作品を丁寧に見ていました。やっぱり近しさを感じたというか、愛着を持って本当に作品を楽しんでいましたね。作品の傾向と子どもたちとの関係性というのはなかなか読み取れないものがありますが、そのハンス・ペーター・クーンさんに関しては非常に成功した例だと思います。

対談イメージ

江川:
現代の美術を子どもたちに見せるのは非常に大切なことだと思います。普通の自分の感覚で感じ取ることができるのは、今の美術です。これを一生懸命見せたい。そういう同時代的なものを見ておくと、大人になってから今の美術を何の偏見もなく見ることができると思います。美術体験が少なく大人になった人たちと話しをしていると、現代美術を見て、「こんなのわからん、ふざけとんのんちゃうか」といわれたりします。「ではどういうのがお好きなんですか」と聞くと、「印象派とか、浮世絵とか」と。それらは100年前の絵なんですよね。100年前のものは好きだけど今のものは嫌いだという大人が多いのです。

山木:
印象派に親しみを感じるというのは、市民生活がすごく明るい光の中で描かれているという要素もあるのでしょうけれど、同時に教科書によく載っているとか、小さいときから触れる機会が多かったからだと思いますね。逆を返せば、同時代の美術に触れあう機会を多くすれば、大人になってから愛着を持つ市民も増えてくるのではないでしょうか。 森さん、このことに関してご意見はないですか。小さいときから同時代の美術の作品に触れあわせてあげたいという考えをどう思われますか。

森:
先ほど山木先生が「作家の意識も変ってきたのではないか」とおっしゃったこととつなげてお話しをすると、鑑賞というのは作家だけでは成り立たないわけで、見る側が変わることで成立します。現代は、そういう見る側を意識して作品をつくっている傾向がありますよね。近代は作家の側に伝えたいものがあって、受け取る側はそれを読み取るという関係が強かったかもしれません。新しいものを前衛的に、新しい考え方を作家がつくり出して表現する。しかし現代になりますとそういう関係ではなく、相互の関係の中で作品が成立してくる。そういった状況がある中で、現代美術の鑑賞というのは非常に大事になってきているように思います。実を言うと、その考え方はそれ以前の近代の表現も、さらにそれ以前の古美術の鑑賞にとっても大事で、価値を新しく作り上げていくといいますか、より創造的な鑑賞につながっていくと思いますね。

山木:
20世紀半ば前後は、アーティストの側が非常にスキャンダラスな行為をして、自分が目立ってヒーローになるという自意識が非常に強い時期がありましたでしょう。今の若手の作家たちというのは、もちろんそういう意識がないわけではないけれども、どちらかといえばもっと親しみを持って自分の作品に近づいてきて欲しい、見て欲しい、そういう穏やかな傾向があるように私自身は感じています。もちろん一概にはくくれませんけれど。

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