HOME > せとうち美術館紀行 > 第10回 広島市現代美術館

せとうち美術館紀行 第10回 広島市現代美術館

広島市現代美術館 身近で心に響く現代美術に親しもう

すべての生命が躍動する春。フレッシュな息吹を浴びながら、アートで目と心を潤しませんか。意欲的に現代アートを収蔵・展示する広島市現代美術館は、初めて公立で現代美術を専門にした美術館。 広島市内を一望できる小高い比治山公園にあり、1,300本もの桜が咲く名所として知られています。屋外にも彫刻が点在し、散策がてらアートを楽しみ、のんびりと過ごせます。

ヘンリー・ムーア≪アーチ≫1963/69

ヘンリー・ムーア≪アーチ≫1963/69
美術館のある比治山公園は1300本もの桜が咲く名所として知られている

エントランスホール

エントランスホール
解放感あふれるエントランスホール。作品がお目見えすることも

比治山スカイウォーク

比治山スカイウォーク
ふもとの比治山東雲線から比治山公園までの高低差37.5mを、動く歩道とエスカレーターに乗って登ることができる

広島市現代美術館 詳細はこちら

広島市現代美術館に関しての対談1

■出席者

鳴門教育大学大学院教授 山木 朝彦さん(以下山木)
広島市現代美術館館長 原田 康夫さん(以下館長)※対談当時
同館副館長 久保田 博さん(以下副館長)※対談当時
同館学芸員・教育普及担当 山下 樹里さん(以下山下)
同館広報・普及推進員 後藤 明子さん(以下後藤)

対談イメージ    対談イメージ    対談イメージ

■対談日

2013年1月12日(土)

医療の世界から美術館へ、館長の忸怩たる思い

山木:
館長は、医師・医学博士として活躍され、芸術にも造詣が深いと伺っています。その経歴についてお話いただけますか。

対談イメージ

館長:
私は元々医者で、広島大学附属病院長、広島大学長を務めました。1983年にはノーベル銀メダル、1994年にはバラニーゴールドメダルをいただきました。バラニーゴールドメダルは、ノーベル賞に対抗してつくられたもので5年に1度しか受賞の対象となりません。私は50年間で10番目の受賞者として、アジア・オセアニア地域で最初にいただきました。耳鼻咽喉科の医者として、走査型電子顕微鏡を使って内耳の立体構造を明らかにしたことが受賞理由です。その後、紫綬褒章も国からいただきました。その一方でオペラ歌手としてもう60年も活動しています。

山木:
素晴らしいですね。そういった功績をお持ちの館長ですけれども、美術館にお勤めになってどういう思いですか。

イメージ

館長:
この美術館に来て5年になり、慣れてきたところですが、非常に難しい(笑)。私は医者でしたから、来館されるお客様の目で何事も見るんです。それでお客様が満足してくださるように新機軸を打ち出して新しいことをしたいと思うのですが、なかなか、それができません。

たとえば、当館に来るには、山を上ってこなければいけません。そこで上るためにゴルフ場からカートを2台ほど譲り受ける手はずをとり、国土交通省と交渉していたのですが、公園内といえども公道だからカートは走れないと許可をもらえず、返却したいきさつがあります。そういうもどかしさがありますね。

コミュニケーションについてですが、危機管理の点から言えば、病院も美術館も同じです。もっとコミュニケーションの密度を上げる必要があります。

「医療と美術の世界は違う」と言われると、忸怩たる思いがあります。私は広島市長から「5年間で改革をしてくれ」と頼まれてこの美術館に来たわけですが、いまだ十分にできておらず、自分自身の力不足を感じています。

山木:
多くの美術館が指定管理者制度といった難しい状況に直面しています。

館長:
お客様が来てくださるものを企画してほしいという思いを館長として持っています。たとえば、最近のオノ・ヨーコ展は集客力がありました。

山木:
強いて指定管理者制度の良いところを挙げるとすれば、情報公開がものすごく進んだところだと思います。しかし、美術館というのは元々公共性を帯びた組織ですから、収益性とはなかなかかみ合わない部分がありますね。

館長:
かみあわなくていいんですよ。

山木:
そうですね。社会教育機関としての美術館という認識が社会的に広がるといいんじゃないかなと思います。

館長:
指定管理者制度とは別の次元のこととして、教育普及に関しては当館も徐々にできつつあります。広島市にある広島県立美術館、ひろしま美術館、広島市現代美術館の3館で連携して、広島平和記念資料館に見学に行った修学旅行生に、来館してもらう流れをつくりましょうということで意見がまとまりました。やがてそれが定着するようになると思います。

広島にあるから発信できるものがある

山木:
こちらの美術館では「広島・ヒロシマ・HIROSHIMA」のテーマで作品を依頼するなど、制作委託でずいぶん原爆に関わる作品が多いですね。

館長:
そういう理念がありますから。戦後の作品、そのなかでも平和を希求するような作品を、広島に関係したものを集めよう、若手のものを集めようというのが、広島市現代美術館の収集の理念なのです。そのことが広島市の活性化にもつながるはずです。

先ほども触れましたが、2013年7月20日から10月14日まで「アート・アーチ・ひろしま2013」と題して広島市の3つの美術館が連携します。そこで取り上げられるイサム・ノグチも広島にゆかりがあります。彼は採択されなかったけれども、広島平和記念公園のモニュメント(慰霊碑)のプランをつくり、平和大橋・西平和大橋もデザインしました。「アート・アーチ・ひろしま」ではそのイサム・ノグチをキー・アーティストとし、各館で平和に関連する作品を展示していきます。

当館は原爆にかかわる良いコレクションがあります。そういう点で非常にユニークであると同時に、現代美術館として日本初の公立美術館だというプライドを持っています。そこをもっとアピールしたいという気持ちでやっています。

ミュージアムショップ

山木:
ヒロシマ賞という大きなイベントもやっていらっしゃいますね。充実した図録がミュージアムショップで販売されていました。

館長:
ヒロシマ賞は賞金も出ますし、これに関わる展覧会の広報も積極的にしています。世界的に現代美術の賞というものがそう多くない現状もあって、受賞された人は喜ばれますね。

山木:
その後の活躍も期待されますね。

館長:
受賞者は、三宅一生さんに始まり、蔡國強さんや、オノ・ヨーコさんなど世界的に活躍されています。一度受賞されると他の賞も受賞する傾向があるような気がしています。

山木:
ビッグネームの作家が多いわけですけれど、館内の広いスペースを思いっきり使って、それまでの歩みの集大成となるような大がかりな個展を開けるというのは、著名な作家にとっても素晴らしいことですよね。同時に大変なことでしょうね。

館長:
そうです。この広い展示室を埋める作品を一人で制作できる作家そのものが少ないですから。

後藤:
特別展だと1,000m2ぐらいになりますね。

山木:
すごいですね。作家にとっても光栄なことでしょうね。

館長:
しかも、1ヶ月なら1ヶ月という期間、展示するわけですから。

山木:
作家さんの希望に添って会場のレイアウトを決め、制作費も美術館が出すのですか?

山下・後藤:
制作費を保障します。

館長:
蔡國強さんは火薬を使って、体育館で長い大きな作品をつくりました。それとは別の作品で、彼からいただいた作品もあるよね?

山下:
はい。ドローイングや写真作品をご寄贈いただきました。

コレクションを増やして集客アップを図りたい

山木:
作品の収集についてはどのようにされているのですか。

館内

館長:
当館にはキュレーターがいますから、キュレーターの目で見て作品を収集しています。ただし、現在は予算がなくて収集ができません。キュレーターの作品への愛だけでは、作品の購入はできないですから(笑)。

山木:
そこをどうしようとお考えですか。

館長:
広島市にお願いして、少しずつ予算を出してもらって収集したいと考えています。開館当初は現代美術が高騰していて、非常に収集しにくい時期でした。今は世界的な不況で美術品も値下がりし、非常に収集しやすい。特に現代美術は集めやすい状況です。今後、中国の上海市場が大きな影響を与えることが予想されるので、今の時期に集めるべきです。

山木:
館長としてはこれからもコレクションの充実を心がけるということですね。

館内

館長:
そうです。コレクションに新しい作品が加わらなければ、何度も当館のコレクション展をご覧になっている方は「また同じ作品か」という気持ちになると思います。いくらたくさん展示があっても、やはり新規の作品について、ひとは注目するのです。

そして、もう一つ難しいのが作品の寄贈です。当館が寄贈を受けるわけではなく、広島市が受けるものですからいろいろ協議が必要なのです。先日も私のところへエミリオ・グレコの作品を寄贈したいという方が来られましたが、そういうわけで待っていただいています。

山下:
手続きから言うと、寄贈してもらうにも、当館がコレクションするのに適した作品かどうかを検討しなければいけないのです。

山木:
美術館の水準を維持しながら発展させていく、そこが難しいところですね。

館長:
現代美術は作家が生存されていますから、それだけに難しいところがあります。

山木:
評価が定まらないですからね。

館長:
評価をきちんとしてコレクションしなければ、美術館は倉庫になってしまいます。今だったら展覧会で使うお金を少し融通することで収集できるものがかなりあるような気がします。

山木:
「オノ・ヨーコ展」などはそういう意味で言うと、よいかたちで流れができてきたのではないですか。

館長:
そういう形を作りたいですね。

山木:
「オノ・ヨーコ展」をきっかけにオノ・ヨーコの作品を購入されたのですか。

山下:
購入した作品はないのですが、パフォーマンスの時に「夢」という書の作品を描いていただき、それを寄贈いただいています。

山木:
あの「夢」は、気合いの入った素晴らしい字ですよね。館長は、パフォーマンスをご覧になっていたのですか。

館長:
もちろん。ずっと後ろで見ていました。素晴らしかったです。オノ・ヨーコさんは気さくで、すてきな方でした。

山木:
「オノ・ヨーコ展」のホームページで、オノ・ヨーコの言葉が掲げてありましたね。それを読んだのですが、とても誠実に広島のことや原爆のことを語られていました。

館長:
やはりご自身が悲劇を知っておられる方ですから。悲劇に対する心構えと言いますか、アーティストとしての心構えがちゃんとあるのですね。

山木:
悲劇というのは、ジョン・レノンが撃たれた事件のことですか。

館長:
そうです。私はアーティストとは距離を置くタイプなのですが、オノ・ヨーコさんと話していて、これはかなわないなと思いました(笑)。

山木:
ということは、話されてとても意気投合されたのですね(笑)。

館長:
ツーショットの写真を撮影しました。

山木:
それは楽しいですね。

次のページへ