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せとうち美術館紀行 第13回 大原美術館

幅広い作品群を収集し、成長を続ける、日本初の私立の西洋近代美術館

第2回大原美術館に関しての対談2

若手アーティストの活動を支援し、作品を収集

分館の地下 イメージ

山木:
分館の地下を見せていただいて、現代美術についてこの画家の名前を聞けばこういう作品であろうという、最も象徴的な代表作がきちんと収集されていることに感銘を受けました。継続的、計画的に収集されている方向性があるのでしょうか。

副館長:
大原美術館の創設以来のポリシーというとおかしいのですが、大原孫三郎をスポンサーとして児島虎次郎が収集していったのは、その当時の時代を反映したアーティストの作品でした。その後、孫三郎の長男の総一郎が美術館を拡張していったわけですが、その時も美術館というのは古いものを展示して見てもらうのではなく、もちろんそれも大事ですが、それ以上に現代の創作している作品を見せていかなければいけない、美術館はよどんだ倉庫ではないという主義で収集していました。それを受けて現在もコレクションは現代で創作しているアーティストの作品を収集しています。

そのひとつが、2005年から実施している「ARKO(Artist in Residence Kurashiki, Ohara)」です。若手作家の支援として毎年若手アーティストを募集し、その中から学芸員と館長が選別したアーティストを倉敷にお招きし、児島虎次郎が使っていたアトリエを約3ヶ月間お貸しし、その期間は画材や生活費などを美術館が提供し、思う存分制作に打ち込んでいただくというものです。

そしてできあがった作品を美術館のいろんな場所で展示し、小企画展のような形で発表の機会を作ります。なおかつ、必ずしも最初から保障しているわけではないのですが、その中から一番素晴らしいと思う作品を美術館が購入し、作品を収集していっています。だいたい1人ですが、年によって2人のときがあります。この活動を通じて収集した作品はかなりの点数になります。

もうひとつは、倉敷を何回か訪れ、倉敷を感じて作品を制作していただく「AM倉敷(Artist Meets Kurashiki)」です。年2回ずつぐらい毎年やっています。「AM倉敷」は、平面絵画よりむしろ画像の作品やダンスと音楽のコンビネーションなどいろんな形のものをやっていて、それも基本的に作品を収集しています。

また、川向かいに有隣荘という大原家の旧別邸があり、その管理を大原美術館がしているのですが、有隣荘を使って年2回の特別公開を行っています。基本的に1回は大原のコレクションからいろいろなテーマで展示をします。もう1回は若手アーティストの方々に来ていただき、有隣荘をイメージして新しい作品をインスタレーション的に展示していただいたり、すでに作っておられる作品を持って来ていただいたりしています。

対談 イメージ福田美蘭《安井曾太郎と孫》
大原美術館蔵

山木:
福田美蘭さんもやっておられましたね。

副館長:
はい。会田誠さん、ヤノベケンジさんなどいろんな方が来て作品公開をしていただいています。その場合も公開作品から収集し、コレクションを増やしていっています。

もう一つ、第一生命さんが開催されている「VOCA展」に大原美術館賞というのを提供し、その受賞作を買い上げています。これらの若手アーティスト支援活動の中でコレクションが増えている状況です。

山木:
「VOCA展」は現在若手アーティストの登竜門になっています。そういう意味で非常に充実したコレクションを拡張させるいいリソースになっている気がします。

副館長:
そうですね。VOCA賞の作品は第一生命さんが収集されますが、それに匹敵する作品を大原美術鑑賞として出させてもらっています。

山木:
鴻池朋子さんはVOCA賞の流れから収集されたのでしょうか。

有隣荘 イメージ

副館長:
鴻池さんは有隣荘特別公開です。

山木:
鴻池さんの有隣荘の使い方はどういう感じでしたのでしょうか。ライティングして、少し光るようなものを散りばめた感じですか。

副館長:
そうです。映像とオオカミがいましたね。

板谷・竹本:
すごかったですね、獣とか。図録になっています。

山木:
現代のアート・シーンでいちばん勢いのある作家ですね。
そうしたコレクションの充実の仕方を聞いて、これからもどんどん成長する美術館としてイメージをつかむことができました。

副館長:
2002年に高階秀爾が大原美術館の館長になってからそうした活動がどんどん広がっていきました。10年を超えたあたりで一つの節目として、オオハラ・コンテンポラリーという図録を作り、「オオハラ・コンテンポラリー」展を開催しました。武蔵野美術大学でも「オオハラ・コンテンポラリー・アット・ムサビ」としてかなりの点数を持って行って公開しました。あの周辺に若手のアーティストで住んでおられる方がけっこういらっしゃるんですよ。そういう方々が来られました。我々としては従来の印象派を中心としたコレクションもいろいろな形で全国各地で見ていただきたいと考えています。次は北海道でも開催します。

山木:
北海道の方はなかなか大原美術館に来る機会も多くないですものね。

副館長:
毎年ではないのですが、大原美術館は各地で年に一回ぐらい展示をしています。オオハラ・コンテンポラリーの新しい作品も公開するチャンスがいろいろなところであればと思います。

山木:
期待しています。
館長の高階先生は、現代美術の本を精力的に出版されていますね。

副館長:
若い方が大好きなのです。発掘するといいますか、若手の方々の作品をいろいろな形で紹介しています。VOCA賞の審査委員長も一時期務めておりました。

山木:
高階館長のスピリットみたいなものが、働いている学芸員の方やもちろん副館長にも共有されているようです。

副館長:
そうですね。大原美術館がもともとしていた活動にぴったり合っていて、高階秀爾という名前で若手の方々が気楽に大原に集まってこられるイメージがあります。うまく回転して今の活動になっているんだと思います。

日本民藝運動の流れがわかる工芸館、空間そのものが作品として成立

工芸館 館内イメージ

山木:
工芸館は、日本民藝運動の巨匠たちが全部収まっていて、工芸史あるいは工芸教育に携わる方々が体系的に見る意味で重要な作品の宝庫だと思います。見せていただいて一番感じたのは、作品が美しく見えることです。自然光があり、色が濁らない蛍光灯があり、暗いけれど真っ暗ではなく、あの時期の精神が伝わるような素晴らしい空間だと思いました。

副館長:
大原孫三郎、大原總一郎が民藝運動を支援していたという歴史があります。駒場の日本民藝館の開設に大原孫三郎が寄付をしたということがあり、当時の民藝運動の活動家の方との交流がけっこうありました。そういう関係で濱田庄司のコレクションが増えていったのです。特に棟方志功については總一郎とお互いに励ますような関係にあり、美術館にたくさん作品がありますが、大原家にも直筆のふすま絵などいろいろなものが残っています。倉敷の街全体にも、民藝の作品や棟方志功の作品はたくさんあり、当時交流があったようです。特に工芸館の展示空間については、芹沢銈介さんが大原家の米蔵を使って全部デザインをしました。ですから空間自体が芹沢さんの作品なのです。

山木:
米蔵を展示室にしようというコンセプトも芹沢さんが考えられたのですか。

副館長:
それはちょっとわかりませんが、そうでしょうね。建物や展示ケースはすべて芹沢さんのデザインです。濱田庄司の部屋、富本憲吉の部屋、バーナードリーチの部屋とそれぞれの部屋に合うように、濱田にはこうだというような形でイメージしてデザインしたのです。

山木:
すごいですね。それだけ芹沢さんにとっても大原美術館の役割が大きかったのでしょうね。ご自分の展示室もありますから。

工芸館 イメージ

副館長:
芹沢さんの展示室は壁の色が赤く、白壁の中に自分のところだけ目立つようにしています(笑)。意図は分かりませんが…。

山木:
マッチングしていますね。作品の青の紅型的な方法論と。

副館長:
そういうことも合わせてお楽しみいただきたいと思います。大原美術館としては、展示ケースなどいろいろなものが芹沢さんの作品なので変えられないのですよ。

山木:
リノベーションできないですね(笑)。3Dプリンターができるような時代だからこそ、これからは工芸教育みたいなものも小学生、中学生、高校生に広げていきたいですね。

副館長:
倉敷には倉敷民藝館があり、名もない作品はそこで堪能できます。大原美術館が収蔵しているのは、濱田庄司とか河井寛次郎など作家の作品です。全体を考える場合は両方を鑑賞していただきたいです。

山木:
民藝に関する書籍の出版点数を見ると、増えてきた感じがします。つい、先日も『サヨナラ、民芸。こんにちは、民藝。』という本を読んだところでした。関連して、工芸のワークショップについてですが、先ほどのダンスのような手で触れて見ることは無理かも知れないけれど、何かよいアイデアはないですか。

工芸館の木煉瓦の床 イメージ

副館長:
「チルドレンズ・アート・ミュージアム」のワークショップのひとつとして、「カラダで感じる美術館」を工芸館で行っています。工芸館の床は木煉瓦ですので、その上をゴーグルで目隠しをして歩くのですが、これが大人気です。

山木:
土蔵の中の空気みたいなものを全身で感じて裸足で歩く。子どもたちにとってはすごく魅力的な非日常空間を味わえますね。

竹本:
最初はゴーグルをつけて暗い中を歩いて建物自体を体感し、最後はゴーグルをはずして作品を見ます。体で感じた雰囲気と作品を見たときの違いを感じるわけです。幼児教育でもそこは楽しみになっています。

 

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