着工までの経緯

1970年7月1日(昭和45年):本州四国連絡橋公団発足

昭和45年7月、本州四国連絡橋公団が設立され、調査に関する基本計画の指示(昭和45年12月)、調査に関する工事実施計画の認可(昭和46年3月)等の手続きを経て、Aルート、Dルート、Eルートの3ルートの各種調査を継続しました。

その後、昭和47年11月に結果を「本州四国連絡橋調査報告書」にまとめ、建設大臣及び運輸大臣に提出しました。

1973年10月(昭和48年):3ルート同時着工決定、同年石油危機により着工凍結

これを受けて両大臣は昭和48年9月、公団に対して3ルートの工事に関する基本計画を指示、同年10月、両大臣から工事実施計画の認可を受けました。

これらの手続きにより、昭和48年11月、3ルート同時着工の予定でしたが、突然起こったオイルショックによる総需要抑制策の一環として、着工を延期するよう政府から指示が出されました。

1975年8月15日(昭和50年):1ルート3橋の凍結解除

1977年4月26日(昭和52年):当面早期完成を図る1ルートは児島・坂出ルートと内定

その後、政府は、昭和50年8月15日に本四架橋に関する当面の建設方針を決定、昭和52年4月26日、本州四国連絡橋の当面早期完成を図る1ルートは道路鉄道併用橋とし、総合的観点から児島・坂出ルートとすることを内定しました。なお、昭和52年11月4日に閣議決定をみた第3次全国総合開発計画において、児島・坂出ルートが当面早期完成を図る1ルートとして正式に決定されました。

昭和52年11月19日には、建設にともなう生活環境、自然環境の事前予測及び評価を行なった「本州四国連絡橋児島・坂出ルート環境影響評価書(案)」を公表し、縦覧、地元説明会等を行ないました。

さらに、これらの周知手続きを経て提出された住民意見、公共団体等の意見を反映して、昭和53年5月4日、最終の「評価書」を作成し再公表しました。

この一連の手続きは、住民参加による本格的な環境影響評価を初めて公共事業で実施した画期的なものでした。

自然公園法の手続きについても、昭和53年5月19日以降、環境保全審議会自然公園部会本四連絡橋問題小委員会において、自然環境保全に係わる問題について4回にわたる慎重な審議がなされました。

1978年10月10日(昭和53年):児島・坂出ルート着工

その結果、環境保全上必要な付帯条件については十分なる措置を講ずることを前提に、昭和53年9月29日環境庁から建設の同意が得られ、同年10月10日に起工式を行い待望の建設工事に着手することができました。