新しい年も元気にお参りができますよう祈念して、阿波国の6番から9番札所へ巡ります。
それぞれの札所に、ありがたい霊験・ご利益がありますので、
一年の無病息災、多幸を願ってのご利益めぐりで、幸運を持ち帰りましょう。
この地には古くから温泉が湧き、弘法大師が温泉湯治の利益を伝えて山号を温泉山としました。大師堂の前に今も源泉井戸があります。初代阿波藩主によって駅路寺(官寺)と定められ、遍路や旅人の宿泊・茶湯接待をする施設が寄進されて以来、四百年以上宿坊として親しまれてきました。本尊薬師如来が霊験あらたかで信仰を集め、また境内の弘法大師ゆかりの「厄除けのさかまつ」も有名です。
【本尊】薬師如来
弘法大師がこの地に逗留した時に阿弥陀如来を感得し、自ら如来像を刻んで本尊としてお祀りしました。その際、大師はこの世の四苦八苦を離れて、極楽浄土で十の光明と輝く楽しみが得られるようにと、光明山十楽寺の寺名を授けました。大師堂の弘法大師像はライトアップされていて、色白美男のお顔が拝見できます。宿坊の収容人数は80名です。
【本尊】阿弥陀如来
大師が修行中に熊野権現が現れて黄金の千手観世音菩薩像を授けました。大師はその場にお堂を建てて等身大の千手観世音菩薩像を彫り、胎内にその金像を納めます。これが熊谷寺創建の縁起とされています。昭和2(1927)年の大火で本堂・本尊は焼失しましたが、本堂はその後再建、広大な境内には江戸時代建立の大師堂や仁王門、多宝塔など古い建物が残っています。大師堂の弘法大師像は、室町時代の作で県指定文化財。
【本尊】千手観世音菩薩
大師が彫像した釈迦涅槃像を本尊として開基したとされています。釈迦の涅槃像を祀っているのは八十八ヶ寺の中でここだけです。天正10(1582)年の戦乱で寺は焼失し、江戸時代に、創建の地から4キロほど南の現在地に再興されました。見渡す限りの田園風景の中にあり、遍路には「田中の法輪さん」と呼ばれ親しまれています。ご本尊の御開帳は、5年に1度です。
【本尊】涅槃釈迦如来
高野山発祥の切り絵で、福を呼ぶ縁起物として1年間玄関や床の間などに飾ります。1年の無病息災と招福を祈る「しめ飾り」です。高野山の上では稲作ができず、ワラが無いので、一般のしめ飾りの代わりにこの切り絵を飾るようになりました。図柄は、新年の干支、宝船、宝珠などがあり高野山では毎年、年末に新しいものに貼り替えます。
神戸市在住。会社勤めをしながら休日だけの札所めぐりを続けて、現在までに20回以上巡拝。そのほとんどが歩き遍路である。歩くたびに新しい出会いがあり、新しい自分を発見すると言う。四国八十八ヶ所霊場会公認先達。NPO法人遍路とおもてなしのネットワーク理事・女性お遍路相談員。www.omotenashi88.net
〈公認先達〉四国八十八ヶ所霊場巡拝を重ね、弘法大師の教えに帰依し、新しく巡拝する人たちにお遍路の心得などを指導し、手本となることができると認められた人。四国八十八ヶ所霊場会が審査、認定している。