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うみかぜ紀行

永遠のレモンジェラート

玉岡かおる・文

高知といえば龍馬龍馬で、私も今回、久しぶりに高知に行ったら、いたるところで龍馬を冠した看板を目にした。しかし高知の人物といえばけっして彼だけではないだろう。私にももう一人、省くことのできない男がいる。

日本の歴史に名を残した経済人、金子直吉。

―は? 誰ですか、それ。

実は高知の人にもそう訊かれた。あらー。TVドラマにもなったのに、私の小説『お家さん』を読んでないのね。悲しくあきらめるのがこれまでだったが、今年は彼が生まれて百五十年。やっと地元で彼の顕彰が始まった。

金子直吉は、明治から昭和初期、神戸の砂糖問屋だった鈴木商店を日本一の年商を上げ世界を相手に取引をする大商社へと発展させた大番頭だ。昭和二年、金融恐慌のあおりで倒産したが、彼が築いた子会社は、神戸製鋼、帝人、日商(現双日)ほか数百社あり、今も日本経済の基幹企業が遺伝子を引き継ぐ。

そんな経済界の怪物が、ここ高知の、仁淀川の源流をなす山間の小さな村で生まれたのだ。村にとっては大いなる誇りであろう。

第一回目となる記念の会に、著者としてお招きを受けたわけだが、実は小説を書くに当たってさまざまゆかりの地を取材したのに、彼の生誕地高知だけは訪れていなかった。

一度挫折して高知に帰った直吉を、お家さんである女主人よねは、その商才を惜しんで迎えに来たというエピソードもある。どんな土地か、どんな空気か、どんな人らが暮らすのか。

実行委員の方々の温かいお迎えに、ほんわか、想像しながらめざす仁淀川町下名野川村は、まさかそんなと声を上げたくなるほど高い山の向こう。交通手段が徒歩だけだった頃、尾根と尾根をつなぐ往還道で行き来したという急峻な谷に貼り付くような村だった。

耳につくのは、空から降ったままの清らかさをとどめた水の流れ。朝に夕に、彼はこの川音に心を洗われながら、いつか世界にはばたいてみせると志を立てたのだろう。そして成功の後も、進んで高知から人材を登用した。

現在、村では、過疎化が進む中で懸命に、自分たちのふるさとのよさをみいだし、若い世代に伝えようとの情熱を絶やさずにいる。

山ある限り、川ある限り、人がまたあらたな歴史を生みだすことを、願ってやまない。

挿絵

PROFILE

玉岡かおる
作家。兵庫県在住。1989年、神戸文学賞受賞作『夢食い魚のブルー・グッドバイ』(新潮社)でデビュー。著書多数の中、『お家さん』(新潮社)で第25回織田作之助賞。文筆のかたわら、テレビコメンテーター、ラジオパーソナリティなどでも活躍。