
吊されたジーンズがはためく児島ジーンズストリート
倉敷市の南部、児島にやってきた。ジーンズ好きなら一度は訪れたい場所だ。日本で初めてジーンズが作られ、品質の高さが日本だけでなく世界から注目されている。
もともと児島北部は江戸時代に干拓された地。塩気に強い綿が栽培され、足袋、学生服、作業服などが作られ繊維業が発達した。戦後は需要が減少。何か新しいものをと縫製技術を活かして作ったのが、日本初のジーンズだった。
児島ジーンズストリートと名付けられた400mほどの通りには、地元メーカーのショップが並んでいる。加工、染め、デザインなどこだわりが詰まったジーンズばかりだ。通りには吊されたジーンズがはためき、巨大なGパンの看板や、セルヴィッチ(デニムの赤耳)をイメージした道路、デニム柄のマンホールまであり、ジーンズ愛が深まる。
店内には世界に1台しかない手織機があり、桃太郎ジーンズの最高峰が作られている。
もとは西陣織の織機で、厚地デニムを織れるように改造。糸は綿花の選別から行い、紡ぎ、近くにある藍工房で天然藍で手染めしている。その糸を使って、職人が1本1本糸の張りに気を配りながら一定の力加減で織っていくのだ。1日にできるのは80㎝がやっと。縫製も一人で手間暇かけてする。
1本20万円以上するが、オーダーが殺到。普段はジーンズを履かない人もこのジーンズだけは「履き心地がいい」と買い求めるそうだ。日本古来の藍染めの美しさ、丁寧な手しごとは、いつの時代も人々を魅了するのだ。
ジーンズは履きこんで色落ちし、育てる感覚を味わえるのが喜びだ。桃太郎ジーンズは経年変化をとても大事にしている。
ジーンズの青はインディゴ染料で、繊維の内部まで染まらず、摩擦によって白が現れる。特にジンバブエ・コットンは白度が高く、色落ちしたときのインディゴブルーとの濃淡が美しい。店内には履きこんで色落ちしたジーンズが飾ってあり、どんな風合いで変化するかがわかる。
また、インディゴ染料も独自でオリジナル開発していて、藍の古布をイメージしたような少し緑がかった色、限りなく黒に近い紺など個性的だ。いいものを長く納得して履きたい。本物を追求したジーンズは、いい相棒としてつきあえる。
築80年の郵便局跡を改装。広々としたスペースに桃太郎ジーンズのレーベルが揃い、サイズ展開も含めて品揃えが豊富。
桃太郎ジーンズ児島味野本店にはカフェが併設されている。天然染料の藍は食べることができ、藍を使った「食」を提案。秋冬限定の藍チャイラテは、岡山産の藍を使った藍紅茶を使用し、ハーブのようなすっきりした香りを楽しめる。地域の洋菓子店とコラボしたバームクーヘン、マカロンなどのスイーツも見逃せない。
児島でジーンズを楽しんだ後は、倉敷美観地区へ。似合うジーンズがわからない。そんな悩みを持つ人は多いはず。倉敷の美観地区にあるデニム研究所には、ジーンズの専門知識を持つジーンズソムリエがいて、最適なジーンズを提案してくれる。
取り扱っているのは、桃太郎ジーンズをはじめ、株式会社ジャパンブルーが展開する5ブランド。予約時にイメージや好みを伝えておくと、豊富なラインアップの中から用意し、来店時にすぐに試着できる。普段聞けないことも気兼ねなく質問でき、意外なシルエットが似合うことに気づくなど発見がいっぱいだ。
□ 男性用ですか?、女性用ですか?
□ どんなシルエットがお好きですか?
□ 普段着ているサイズは?
□ どのブランドがお好みですか?
などを予約時にお知らせいただけたらスムーズにご案内できます。
→ご予約はこちらから
ジーンズに使う生地、デニムを日本で初めて開発した倉敷紡績(クラボウ)の足跡を倉敷アイビースクエアでたどることができる。
煉瓦色の建物は、かつてのクラボウ旧倉敷本社工場。明治に創業し、のこぎり屋根や明かり取りの天窓などほぼ当時のまま残っている。
そのなかの原綿倉庫だった場所が倉紡記念館になっている。倉敷をはじめ日本の発展を支えた紡績事業の変遷を写真、模型、当時使用していた機械などの資料を通して学べる。第2代社長大原孫三郎が明治時代の終わり頃から労働環境の改善、美術館、病院の建設に取り組み、現在までつながっているのがすごい。
宿泊施設、レストラン、ショップも整い、お土産を探したり、美しい街並みを散策したり、ゆっくり過ごせる。