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恵峰さんと巡ろう 四国おへんろ

四国は行く先々に八十八ヶ所霊場の札所があります。旅のついでに足を伸ばしませんか。
参拝しながら歴史や由来を知り、建築、仏像などの美にふれ、心安らぐ充実した時間を過ごせます。

四天王像がにらみをきかせる街中の札所

第55番札所 別宮山 南光坊
鋭い形相と武器を手に持ち、にらみをきかせる四天王像。

しまなみ海道の旅の道すがら恵峰さんと訪れたのは、南光坊。今治市の市街地にあり、今治駅、今治城、今治港が近く、今治北ICへいたる国道317号沿いのアクセス抜群の場所にあります。

こんもり茂る緑を目印に進むと、突如現われる四天王像。山門の北方に多聞天、西方に広目天、南方に増長天、東方に持国天が迫力ある姿で立ち、霊場を守っています。

南光坊は、明治時代の神仏分離令で神道と仏教が明確に分けられるまで、隣接する大山祇神社の別当寺でした。

別当寺って何?大三島にある大山祇神社との関係は?と気になりますが、別当寺とは神社を管理するお寺のこと。大三島は海が荒れると参拝に行けないため、703年に今治の地に別宮として大山祇神社の神様を迎え入れました。そのときに南光坊も含めて別当寺8坊が移されたのです。八十八ヶ所霊場で唯一「坊」がついていますが、これは兵火ですべて消失したときに南光坊だけが再建されたから。

ご本尊は大通智勝如来。大山祇神社から移された本地仏です。江戸時代の中門や金比羅堂、彫刻が見事な築100年あまりの大師堂など見どころが多く、これだけ大きな大師堂はなかなかありません。散歩気分で気軽に行けるので、時間を気にせずゆっくり過ごせます。

大師堂の屋根瓦の四方に魚の尻尾のような鴟尾(しび)をあしらえているのも珍しい。
南光坊の中で一番古い中門。

南光坊のご住職に教えてもらいました札所のみかた

江戸時代の護摩札が残る中門

過去に南光坊で修行した僧が打ち付けた護摩札が残る中門。護摩札にはどこのお寺で修行したかや、天保、嘉永など江戸時代の年号を見ることができ、歴史の深さを感じることができます。

海運のまちの金比羅堂

今治は昔から海運が盛んなまち。安全をつかさどるため、海上交通の守り神であるこんぴらさんを江戸時代に讃岐からわざわざ迎え入れました。金比羅堂のまわりには海運業者からの寄進石が残されています。

書をたしなむ人は必見の菅笠

あまりの達筆に先代住職が驚き、書道家・川村驥山氏から譲り受けた菅笠が寺務所にあります。弘法大師は「弘法にも筆の誤り」のことわざがあるほど書の名人で、川村氏はその書を尊敬しおへんろをしたそうです。

大師堂に刻まれた十二支

大師堂の屋根の下をぐるりと囲むように十二支が刻まれています。固いケヤキの木にこれほど緻密で美しい彫刻をするのは大変で、優れた技術を持つ山口県周防大島の宮大工ならでは。

第55番札所 別宮山 南光坊

[住所]愛媛県今治市別宮町3ー1
[宗派]真言宗御室派 [本尊]大通智勝如来
[開基]行基菩薩   [創建]大宝3年(703)
[真言]なむ だいつうちしょう ぶつ

福田 恵峰(けいほう)さん

福田 恵峰(けいほう)さん

神戸市在住。仕事を持ちながら休日だけの札所めぐりを続けて、現在までに20回以上巡拝。そのほとんどが歩き遍路である。歩くたびに新しい出会いがあり、新しい自分を発見すると言う。四国八十八ヶ所霊場会公認大先達。NPO法人遍路とおもてなしのネットワーク理事・女性お遍路相談員。www.omotenashi88.net

〈公認先達〉四国八十八ヶ所霊場巡拝を重ね、弘法大師の教えに帰依し、新しく巡拝する人たちにお遍路の心得などを指導し、手本となることができると認められた人。四国八十八ヶ所霊場会が審査、認定している。

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