ホーム > 瀬戸マーレ vol.41 > うみかぜ紀行

うみかぜ紀行

サイクリングの聖地は海の上

玉岡かおる・文

先日、テレビを見ていたら、見覚えのある瀬戸内海の島が取り上げられていた。

鴻島といって、岡山県備前市の日生諸島に属する島だ。

地図で見れば本土はすぐ目の前。日生港の南、わずか4㎞しかない。とはいえ日生諸島では鹿久居島に本土へ渡る橋が架かったから、大多府島とともに、やはり〝離島〟の印象は残っている。

TVではこの島を、’80年代、いわゆるバブルの時代に、別荘の島として開発されたことを紹介し、今ではその別荘がリフォームされて土地付きで三百万円というような格安価格で分譲されている事実をレポートしていた。

私がどうしてこの島に見覚えがあるかといえば、そのバブル時代に、まさにその別荘を見に行ったことがあるからだ。

当時はデベロッパーが日生港から送迎用の船を出し、物件を案内してくれた。そんなものに興味を持ったのだから、我が家もやはりバブルだったかと訊かれそうだが、実は夫が、海辺の町に生まれて育ち、大の海好き、魚介好き。牡蠣やシャコなど、魚介類は新鮮なほど嬉しいし、釣りやマリンスポーツにも目がなかった。そういう〝海派〟の者たちを、デベロッパーは巧みにくすぐったというわけだ。

本土に行くにはフェリーもあるが、別荘の足元の岸には桟橋があり、各戸、自家用車ならぬ自家用船でらくらく往来、というのもウリ。加えて、子供のためには、海水浴場があり、温暖な気候を利用したミカン園もあるこの島の環境は、楽園にも思われた。

訪れてみると、こんもりとした緑の斜面に、どの別荘も海にせりだすように建っていた。当然ながら、別荘からの海の眺めはすばらしく、変幻自在の絵画を見るかのよう。

「まるでエーゲ海のようでしょう?」
と言われても、エーゲ海には行ったことがないから返事に困ったが、きっとこんなふうなのだろうとうっとりした。もとより瀬戸内の海は穏やかで、近景には凪いだ海面に浮かんだ牡蠣筏や行きかう船の姿。遠景には対岸の賑わう灯や、のんびりとした島々の影。昼はもちろん、月が煌々と照る夜は、海面がキラキラ輝く別世界が開けることだろう。

「ここで暮らせば、時間の概念が変わります」
たしかにここでは急かす者もない、何かしなければならないわけでもない。時間はマイペースで流れていきそうだ。

そしてその別荘、どうしました?

――はい、結果的に、いかにバブルといえど購入には至らず、それきり島のことは記憶のかなたに放置していたのだった。

三十年たって、また眼前に現れた島。私たちも年を重ね、もうマリンスポーツにもミカン園にも食指は動かないが、朝に夕に瀬戸内の海を眺めて暮らす毎日は、きっと健康そのものに違いない。発想を変えて、別荘ではなく永住というなら、土地付き三百万円前後はお買い得。老後を過ごすにはまたとない環境かもしれないなあ。

――なんて、またぞろ、そんな島へのあこがれを蒸し返す、罪なTVの映像なのだった。

挿絵

PROFILE

玉岡かおる
作家。兵庫県在住。1989年、神戸文学賞受賞作『夢食い魚のブルー・グッドバイ』(新潮社)でデビュー。著書多数の中、『お家さん』(新潮社)で第25回織田作之助賞。文筆のかたわら、テレビコメンテーター、ラジオパーソナリティなどでも活躍。