発電場跡/大きな建物で、毒ガスを製造する際にここで電力を供給していた。壁や入口のトンネルに残された「MAG2」の文字は、朝鮮戦争時にアメリカ軍が弾薬庫として使用した名残り。
ウサギが自由に島を駆け回る大久野島。その愛らしい姿を目にすれば
自然と笑みがこぼれる。しかし島を巡れば別の顔に出会う。
点在する廃墟が物語るのは、かつて地図から消された島の歴史と平和への思いだ。
忠海港から船で約15分。大久野島まですぐだ。出迎えてくれたのはたくさんのウサギたち。駆け寄ってくるウサギ、木陰で休んでいるウサギ、穴を掘るウサギ、ダラーンと足を伸ばして寝そべっているウサギ…、自由気ままでウサギの楽園だ。小学校で飼われていた8羽のウサギが放され、野生化したという説があり、現在700羽以上のウサギが暮らしている。島内は一般の車は通行できないが、周囲4.3㎞の小さな島なのでのんびり歩いて約60分、自転車なら約30分で一周できる。休暇村大久野島で自転車をレンタルして散策しよう。青い海と空、島々が目の前に広がり、開放感いっぱいだ。まさかここにはいないだろうと思う場所にもウサギがいて、愛らしいやら、おかしいやら。気づけば足元にいて、注意しないと踏んでしまいそうになる。
ほっこりしながら散策していると、その陽気さとは対照的な廃墟がたくさんあるのが気になった。ツタが絡まり風化した壁、ゆがんだ窓枠、息を潜めるように佇む建物。静寂と緊張があたりを支配する。実は大久野島では1929年から1944年まで秘密裏に毒ガス製造が行われ、一時は地図から消されていた。毒ガス資料館でその事実を知り、胸が締め付けられた。戦争遺跡を目の当たりにし、平和を願わずにいられない。悲しい歴史を越え、どこまでも美しい景色が広がる大久野島。ウサギにひかれてやってきた島で、思わぬ出会いに心揺さぶられ、今ここにいる幸せをかみしめた。
中部砲台跡
島内には1900年頃、芸予要塞として北部・中部・南部の3つの砲台が築かれ、大砲が据えられた。毒ガス製造時代には毒ガス製品が置かれた。写真は中部砲台近くの兵舎跡。
長浦毒ガス貯蔵庫跡
島内最大の毒ガス貯蔵庫。壁が焼け焦げて黒くなっているのは、第二次世界大戦の終結後、連合軍の指示のもとで製品などを火炎放射器で処分した跡。そのすさまじさがわかる。
大久野島毒ガス資料館
毒ガスの製造や処理をした過程で多くの被害者を出すに至った事実を、資料や写真、当時使用していた防毒マスクや製造道具などの展示を通して紹介。悲惨な歴史と平和の大切さを教えてくれる。
開館時間:9:00~16:00
休館日:年末年始(12月29日~1月3日)
入館料:100円、19歳未満50円
TEL:0846-26-3036
※危険防止のため、戦争遺跡の立ち入り禁止柵内には絶対に入らないこと。
大久野島で唯一レストランがある休暇村大久野島。
地産地消にこだわり、瀬戸内の新鮮な恵みを味わえます。
大久野島にはウサギのかわいいグッズがいっぱい。
休暇村大久野島や忠海港のフェリー乗り場で手に入れて!
DATA 休暇村大久野島
島内で食事、宿泊、日帰り入浴やお部屋休憩ができる施設。
自転車のレンタルができ、キャンプやテニス、夏は海水浴やプールも楽しめる。
●住所 広島県竹原市忠海町大久野島
●電話 0846-26-0321