ホーム > 瀬戸マーレ vol.44 > うみかぜ紀行

うみかぜ紀行

二度三度 立ち位置で変わる町の顔

玉岡かおる・文

内子に初めて行ったのは四年前。町の代名詞である「内子座」で文楽を見るためだった。

入母屋造りのこの劇場は、屋根の妻の三角部分が正面に見える印象的な建物で、大正時代竣工で国の重要文化財。何より、今も町の人々の晴れ舞台として現役で使われているのがすごい。

文楽の当日は色とりどりの幟が立ち、露店も並んで、観光バスでどんどん県外からのお客さんがやってくるという賑わいぶり。

かく言う私も、ふだん近くに住みながらめったに会わない友人と、この劇場の前でばったり会ったのには驚いた。お互い文楽好き、舞台好きという共通点がなせるわざだ。

内子を訪れるということは、かつて日本じゅうが共通して持っていた文楽という庶民の楽しみを、現代において追体験できるということかもしれない。

とまあ、一回目、内子の〝顔〟は、町の宝である内子座だけを見て終わったのだった。

ところが二度目の訪問で見たのはまた別な顔。今度はその内子座の舞台に、この私自身が立つことになったからである。

実は私の書いた小説『お家さん』(新潮社・刊)で、内子出身の主要人物が大活躍している。神戸の巨大商社・鈴木商店の栄光を築いたロンドン支店長、高畑誠一、その人だ。

第一次大戦下の欧州で、国家を相手に、「カイゼルを商人にしたような男」と称えられる人格で取引し、鈴木商店を欧州で一番有名な商社にした。のみならず、後に日商を創立、この国の貿易をひたすら高めた。彼は功成り名を遂げた後、故郷の内子に奨学金を贈り、有望な後進たちを育成してもいる。内子の人々にとり、彼は忘れ得ぬ偉人なのである。

その高畑を顕彰するイベントで、著者として講演に招かれたというわけだが、そういえば一度目に来た時は、そんなご縁を顧みることなく文楽に没頭していた私。二度目はしみじみ、彼を思って町を歩いてみることにした。

すると、古い町並み、裕福な商家の構え、どことなく立派なたたずまいの小学校など、内子が前とはすっかり違う町に見える。

青年高畑はこの道を歩き、こんな夕日や星の瞬きを見上げたのか。やがて世界に乗り出す熱き志を胸に秘めつつ――。

ああ、心惹かれる町は、少なくとも二度訪れなくては本当の顔が見えないのだな。

舞台の上と下では見える景色が異なるように、同じ町を訪れても、立ち位置が違えば見える顔は大きく変わる。

では三度目に来たならどんな顔が見えるやら。持って行くテーマにかかっていそうだ。

挿絵

PROFILE

玉岡かおる
作家。兵庫県在住。1989年、神戸文学賞受賞作『夢食い魚のブルー・グッドバイ』(新潮社)でデビュー。著書多数の中、『お家さん』(新潮社)で第25回織田作之助賞。文筆のかたわら、テレビコメンテーター、ラジオパーソナリティなどでも活躍。