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夢の架け橋ヒストリー
本州四国連絡橋公団発足50周年

夢の架け橋ヒストリー

悲願の構想から100年以上の時を経て、本州と四国を結ぶ本州四国連絡橋3ルートが完成しました。
大切な橋を200年以上の長期にわたって利用できるように、
JB本四高速は日々維持管理を行っています。
幾多の困難を乗り越え、人々の熱意と知恵と技術を結集して出来上がった
一大プロジェクトの歩みをシリーズで振り返ります。

架橋技術の集大成
世界中から愛される
瀬戸内しまなみ海道

広島県尾道市から愛媛県今治市までの海峡部を9橋で結ぶ西瀬戸自動車道。瀬戸内海のなかでも比較的大きな島が密集する芸予諸島を通過し、橋と多島海がおりなす景観が美しいことから「瀬戸内しまなみ海道」の愛称がつけられ親しまれている。京阪神のような大都市圏から離れているため、離島に暮らす人々の生活橋としての色が濃く、3ルートで唯一自転車・歩行者道が併設された。橋を渡りながら個性あふれる島々を巡ることができ、いまや「サイクリストの聖地」として世界中から観光客が訪れている。

しまなみ海道は、本州四国連絡橋で最初に建設された大三島橋に始まり、24年もの歳月をかけて完成した。各橋梁の経済効果などを考慮して着工方針が決められ、全橋が開通したのは平成11(1999)年。3ルートのうち最後となった。

要した年月は無駄ではなかった。その間に架橋技術は飛躍的に発展。最後に完成した新尾道大橋、多々羅大橋、来島海峡大橋には、これまで培ってきたあらゆるノウハウが結集されている。なかでも大島と今治の間の幅約4㎞の来島海峡は海の難所として知られ、橋を架けるには多くの課題があった。経験によって磨かれた最先端の技術がなければ乗り越えることは困難だった。

年表

1日30分の作業時間で橋桁を架設

「やれるはずだ!」

幾多の課題を克服してきた技術者たちが最後に挑んだのが来島海峡大橋だった。世界初の三連吊橋で、瀬戸大橋や明石海峡大橋の建設で海中に土台を築く高い技術を培ったことで、現在のまっすぐなルートで橋をつくることができた。

その姿はスレンダーで優美。それを印象づけるのが、来島海峡大橋で採用したスマートな箱桁だ。風をスムーズに流し、耐風安定性が高く、塗り替えが容易で、コストを軽減できる。しかし設置が課題だった。島が点在する来島海峡は複雑な地形が生み出す潮流が激しく、1日1000隻もの船が通る。作業海域を少なくするため、真下に箱桁を乗せた船を固定させ、直接吊り上げる工法を開発。さらに「順中逆西」と呼ばれる世界でここにしかない航法は、潮の流れの向きによって通航できる水路が変わる。ただでさえ混雑する船への影響を最小限にするよう定められた作業時間は1日50分。そこで360度自由に動き、位置を制御できる自航台船を開発。船長の巧みな操船技術もあって、従来は約3時間かかるところをわずか30分で箱桁を吊り上げ、架設することができた。

自航台船に積まれた箱桁をワイヤーロープで海上58mまでゆっくり吊り上げていく。潮止まりの潮流が比較的緩やかな時間を狙って行われた。
箱桁の架設現場に航行する船が近づかないように、広報船、監視船、警戒船が出動。直接船と交信してお願いした。
奇跡の絶景「夕日ストライク」。1年に2回だけ冬至の前後1か月の日に橋の主塔の真ん中に夕日がすっぽり収まる。
計画当初は中渡島を経て大きくカーブするルートだった。現行の直線ルートにすることで美しい多島海景観を守れるだけでなく、車の走行性を向上させることができた。

しまなみ海道は橋の博物館

橋をつくるときに大切にしたのは、できるだけ地形を変えず、周囲の景色と調和する橋の形や構造にすること。
しまなみ海道のルート上には、斜張橋、吊橋、アーチ橋などさまざまな形状の橋がある。
同じ吊橋でも来島海峡大橋は瀬戸大橋や明石海峡大橋とくらべるとスマートで、その違いも魅力だ。

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