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備中松山城

雲海に浮かぶ備中松山城を見られるのは9月下旬~4月上旬の早朝。前日の日中と当日の朝方の気温差が大きいと雲海が発生する確率が高くなる。備中松山城雲海展望台が絶好の鑑賞スポット。

岡山県高梁市
つわものたちを惑わした難攻不落の山城

備中松山城

急峻な山の上に築かれた備中松山城は、天守が現存する唯一の山城。
戦乱の世に争奪戦が繰り返されたが、往時の姿を残し、
秋から冬にかけて雲海に浮かぶ幻想的な美しさを見せてくれる。

山を登り切った先に、
天守が待っている

かつて備中国の中心として栄えた岡山県高梁市。その市街地の北端に広がる臥牛山(がぎゅうざん)の山頂に備中松山城がある。臥牛山は大松山、天神の丸、小松山、前山の4つの頂からなり、急峻な地形を生かして守りを固めた典型的な山城だ。

その歴史は鎌倉時代に大松山に砦(とりで)が築かれたことに始まる。山陰と山陽を結び、東西の主要街道が交差する要衝だったため、戦国時代にかけて激しい争奪戦が繰り返され、山全域に砦や出城が築かれた。一般的に備中松山城としてイメージされる現存天守は、この頃に小松山に築かれた城を江戸時代に大改修したものだ。

その天守がなぜ今に残ったのか。あまりに急峻だったため、武将たちが天守を攻めきれなかったから。明治に廃城令が出されてもそのまま放置された。やがて木々が天守を覆い隠し、第2次世界大戦の空爆を逃れ、ひっそり生き続けてきたのだ。

いざ、武士になった気分で登城しよう。山裾の登山口からだと約1時間の山登り。車だと8合目のふいご峠まで上がれ、そこから歩いて約20分だ。国有林になっている山にはたくさんの野鳥やニホンザルが生息し、豊かな自然を愛でながら遺構をたどれる。

大手門跡に立って威圧感に圧倒された。そそり立つ天然の岩盤を生かして巧みに石垣が積み上げられている。その先には土塀(どべい)があり、江戸時代のものが一部残っているのが珍しい。さらに登れば、荷馬をつなぐための厩曲輪(うまやぐるわ)だ。いわば現在の駐車場で、ここまで馬が登ってきていたことに驚く。1575年に城主となった毛利氏がつくらせたと考えられる野面積(のづらづみ)の石垣も残っていて見どころいっぱいだ。

ところどころに城主からの登城心得があるのが心憎い。
三の平櫓東土塀(さんのひらやぐらひがしどべい)。江戸時代の土塀(重要文化財)と復元された土塀の間に段差が設けてあるので確認してみて。
敵の侵入を寄せ付けない大手門跡の高石垣。臥牛山は花こう岩でできており、石垣はその石を切り出して利用している。
南北交通の中心だった高梁川が町の中を流れる。ここを通る船はいったん積み荷を積み替えなければならず、税を徴収された。
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天守だけではない、
戦国期の城郭も見どころ

ようやくたどり着いた天守は小さいながら風格がある。外からは3階建てに見えるが、二層二階の層塔型(そうとうがた)で、唐破風出格子窓(からはふでごうしまど)や連子窓(れんじまど)が美しい。天守内には籠城(ろうじょう)に備えた囲炉裏や、落城時に城主一家の死に場所となる装束(しょうぞく)の間がある。このように戦を想定した備えがあるが、実際は城主はほとんど天守に来ておらず、4人の番人がいただけだった。というのも江戸時代は戦がほとんどなく、城は権威の象徴の意味合いが強かったからだ。城主の住まいと政務を司る役所は、便利な山麓に御根小屋(おねごや)をつくり、そこで行われていた。

天守を見終わった後は裏側をまわってみよう。裏門にあたる搦手門(からめてもん)跡や二重櫓(にじゅうやぐら)も見逃せない。山を下っていくと谷のように深く掘られた堀切と土橋がある。このあたりから雰囲気が変わり、時代をさかのぼっていく。ここから向こう側が土づくりの曲輪(くるわ)や堀切が残る戦国期の城郭エリア。備中松山城の醍醐味は、江戸期だけでなく戦国期と両方の城を楽しめることにあるのだ。

山城として唯一現存する天守。
連子窓に黒い跡があるのはニホンザルの手形。この山はニホンザルの生息地で、出会うことがあるかも。
戦国時代の経験から籠城時に備えて食事の支度や暖房用に囲炉裏がつくられた。
天守の後方を守る堀切と土橋。土橋と名がついているが昔は切り落とせ、敵に攻め込まれないようにくい止める要所になっていた。

猫城主「さんじゅーろー」
に会いに行くにゃん

天守を訪れる楽しみのひとつが、猫城主「さんじゅーろー」。備中松山城に迷い込み、保護された推定6歳のオス猫で、石垣の上で寝そべったり、ねこじゃらしで遊んだり、かわいらしさに目尻が下がりっぱなし。10時と14時が城内見回りの時間だが、気まぐれなのも愛嬌。現在は感染予防のため触れあいはできないが、見ているだけで癒やされる。

プロフィール
年齢:推定6歳 性別:オス
体長:50cm+しっぽ27cm 体重:5.75kg
名前:備中松山藩出身の新選組隊士・谷三十郎にちなんでいることと、さんじゅーろーが見つかった場所がお城の三の丸だったことに由来。
DATA

所在地/岡山県高梁市内山下1
築城年/1240年(延応2年)
開館時間/[4~9月]9~17時30分[10~3月]9~16時30分※最終入城は閉城時間の30分前
休館日/12月29日~1月3日
観覧料/大人500円 小中生200円
連絡先/0866‐21‐0461(高梁市観光協会)
駐車場/城まちステーション(5合目)から登城整理バスを利用し、ふいご峠(8合目)まで移動。バスが運行していない日はふいご峠まで車で乗り入れ可。※バス往復400円(小学生以下無料)

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城下町の歴史文化が香る街並みを散策

備中松山城の城下町として栄えた高梁。外堀だった紺屋川(こうやがわ)をはじめ、藩政時代の名残をとどめた風情ある街並みが残り、ゆっくり散策を楽しめる。
石火矢町(いしびやちょう)ふるさと村では、白壁の土塀や長屋門が立ち並び、江戸時代の武家屋敷が公開されている。高瀬舟の発着場があった本町は経済の中心地。豪奢な商家や町家が軒を連ね、かつてのにぎわいが目に浮かぶようだ。備中国奉行であり、作庭や茶の湯に才能を発揮した小堀遠州(こぼりえんしゅう)ゆかりのスポットもあり、歴史と文化に浸れる。

高瀬舟の船主で、両替商、醤油製造販売で財を成した池上家。内部は資料館になっていて、贅を尽くした屋敷や庭園に目を見張る。
幕末の武士の暮らしは極めて質素。畳ではなくむしろを敷き、中庭で茶、柿、野菜を育てて自給自足を心がけていた。

備中松山藩の献上品としてつくられた餅菓子

土屋天任堂(つちやてんにんどう)

備中米と地元特産の柚子を使ったゆべしは、もともと家庭でつくられていたお菓子。そんな家伝の味を工夫し、6代目藩主板倉勝職(かつつね)公に献上して称賛されたのが、藩の文書を記録する役人として仕えていた当店の初代ご主人。現在は6代目で、「時代の味覚に合わせ手間暇かけてつくっています」。柔らかな餅の食感と、たっぷり練り込んだ柚子の上品な香りは素朴で優しい味がする。

DATA

住所/岡山県高梁市東町1877 TEL/0866-22-2538
営業時間/8:00~17:00 定休日/日曜日、年末年始
料金/袋入り包みゆべし(5個入)360円など
駐車場/なし


遠州の美の世界を楽しめる庭園がある

頼久寺(らいきゅうじ)

足利尊氏により安国寺として建立された頼久寺には、小堀遠州が作庭した傑作庭園がある。見どころは、愛宕山(あたごやま)を借景とし、サツキの大刈り込みで青海波(せいがいは)を表現し、白砂の中央に鶴島と亀島を配した「鶴亀の庭」と呼ばれる蓬莱式枯山水庭園(ほうらいしきかれさんすいていえん)。遠州は「わび・さび」の世界に、美しさ、明るさ、豊かさを加えた「綺麗さび」を極めたが、その精神が感じられる。

DATA

住所/岡山県高梁市頼久寺町18 TEL/0866-22-3516
営業時間/9:00~17:00 定休日/無休
料金/大人400円、中高生200円 駐車場/あり

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