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恵峰さんと巡ろう 四国おへんろ

四国は行く先々に八十八ヶ所霊場の札所があります。旅のついでに足を伸ばしませんか。
参拝しながら歴史や由来を知り、建築、仏像などの美にふれ、心安らぐ充実した時間を過ごせます。

復活と再生を祈る伝説に彩られた海辺の寺

第86番札所 補陀洛山 志度寺
巨大わらじが掲げられ、運慶作の迫力ある金剛力士像がにらみをきかせる仁王門。奈良時代の建築技法である三棟造りが重厚。

志度湾に面して建つ志度寺。古くから霊験あらたかなところとして人々の信仰を集めてきました。

「境内は〝あの世〟を表しているんですよ」と恵峰さん。あの世で最初に会う奪衣婆(だつえば)と、閻魔大王のお堂が左右にあり、正面の本堂に十一面観音がおられます。人間誰しも失敗や過ちがありますが、裁きを受け、お勤めをして許しを得ることで、現世に戻る機会を与えてもらえるといいます。

国の重要文化財も数多くあり、『志度寺縁起絵』(鎌倉~南北朝時代)によれば、志度寺の歴史は推古天皇33(625)年にさかのぼります。海洋技術に優れた海士族の凡園子(おおしそのこ)が、志度の海に打ち上げられた霊木で十一面観音像を彫り、堂を建てたのが始まりとされています。その後、天武天皇の時代に、藤原不比等(ふひと)が海女だった亡き妻の墓を建て、死度道場と名付けました。そして不比等の子・房前(ふさざき)が志度寺と改め、行基とともに堂塔を整え、母の供養塔を建てました。その供養塔が海女の墓として残っています。史実と伝説が入り交じり、物語を楽しみながらお参りできます。

遠くに屋島や五剣山が見える。山号の補陀洛は、菩薩がいるとされる補陀洛を目指し小舟で大海に身を預ける補陀洛渡海の信仰に由来している。
唐から贈られた宝珠を志度の海で龍神に奪われ、海女である不比等の妻が取り戻し絶命した「海女の玉取り縁起」を伝える「海女の墓」

札所のみかた

あの世の入り口、奪衣婆堂

三途の川を渡った先で待っているのが、奪衣婆。水に濡れた衣を剥ぎ取り、木にかけて枝のしなり具合で罪の重さを判断します。大きくしなだれたら罪が重く、閻魔様のところへ送られるといいます。

志度寺の閻魔様は優しい

本尊の十一面観音と同体とされ、頭上に十一面の仏面をいただきます。悔い改めて、良いことをしようとする人には命を与えるとされる閻魔様で、お顔を拝め、参拝者のその時々の心のありようで怖くも優しくも見えます。

藤原氏の末裔、生駒親正の墓も

織田信長や豊臣秀吉に仕え、初代讃岐藩主となった生駒親正は藤原氏の末裔。志度寺にさまざまな援助を行いました。高松の弘憲寺に墓がありますが、藤原氏の菩提寺の志度寺にもお墓があります。

美しい無染庭(むぜんてい)に心が落ち着く

細川氏一派によって作庭された曲水式庭園の一角に、昭和36年に著名な作庭家・重森三玲が枯山水の無染庭を復元しました。志度寺に伝わる「海女の玉取り縁起」をモチーフにしています。

第86番札所 補陀洛山 志度寺

[住所]香川県さぬき市志度1102
[宗派]真言宗善通寺派   [本尊]十一面観世音菩薩
[開基]藤原不比等     [創建]推古33年(625)
[真言]おん まか きゃろにきゃ そわか

福田 恵峰(けいほう)さん

福田 恵峰(けいほう)さん

神戸市在住。仕事を持ちながら休日だけの札所めぐりを続けて、現在までに20回以上巡拝。そのほとんどが歩き遍路である。歩くたびに新しい出会いがあり、新しい自分を発見すると言う。四国八十八ヶ所霊場会公認大先達。NPO法人遍路とおもてなしのネットワーク理事・女性お遍路相談員。www.omotenashi88.net

〈公認先達〉四国八十八ヶ所霊場巡拝を重ね、弘法大師の教えに帰依し、新しく巡拝する人たちにお遍路の心得などを指導し、手本となることができると認められた人。四国八十八ヶ所霊場会が審査、認定している。

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