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せとうち島めぐり

沼島 ぬしま

兵庫県南あわじ市

淡路島からプチ船旅で、神話の舞台を歩く

日本最古の歴史書とされる『古事記』。冒頭には、イザナギノミコトとイザナミノミコトが日本の国土を造るという「国生み神話」が記されています。二柱は、天の浮橋に立って、天沼矛(あめのぬぼこ)で大海原をかき混ぜ、引き上げた矛の先から滴り落ちた雫が固まってできた「おのころ島」に降り立ちます。そして、現在の淡路島を最初に、四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、本州の順に「大八洲」をお生みになりました。

では、「おのころ島」はどこにあるのでしょう。有力候補地の一つが淡路島の南約4.6kmにある沼島です。上空から見ると勾玉の形をしており、湾曲した北西側の真ん中に集落があります。淡路島との間には中央構造線が通るため、地質構造が異なり、結晶片岩が見られます。島内の石垣や集落の石塀、階段などに使用されています。

島の南側には「おのころ山」があり、古くから山そのものが御神体とされてきました。その麓に、自凝(おのころ)神社が鎮座しています。集落から東へ抜けると、上立神岩(かみたてがみいわ)展望台に着きます。そこから、約30mの高さを誇る上立神岩が、海面から突き上げるように立っているのが見えます。天沼矛にも見えますし、「国生み神話」では、二柱がおのころ島で「天の御柱」を周って婚姻されたと記されていますので、それが上立神岩ではないかとも言われています。

また、沼島は太平洋と瀬戸内海の入り口に位置するため、古来、海上交通の要衝でした。航海技術に優れ、淡路島を拠点に活動していた海人(あま)とも深い関わりがあると考えられています。海人が生業とした土器製塩に関係する遺跡も存在します。後に沼島水軍が活躍し、島内には、戦国時代に島主として沼島水軍を支配した梶原一族の祖である梶原景時のお墓、「梶原五輪塔」も見られます。

神話は想像の物語ではなく、古代の日本を紐解くカギと言えます。今冬、淡路島から足を伸ばして、歴史ロマンの旅をしてみませんか?

淡路島から船で10分の距離にある沼島の集落
淡路島から船で10分の距離にある沼島の集落
島へのアクセスは…淡路島の土生(はぶ)港から定期船で10分
島へのアクセスは…淡路島の土生(はぶ)港から定期船で10分

トリセツ

自凝神社(おのころじんじゃ)
自凝神社(おのころじんじゃ)
国生み神話の舞台である「おのころ島」は、天沼矛から滴り落ちた雫が自ずと凝り固まってできた島とされる。各地に候補地がある中、神話に見られる数々の表現から沼島が有力候補地ではと言われている。島内のおのころ山麓に自凝神社が鎮座し、イザナギノミコトとイザナミノミコトの二柱を御祭神に祀っている。
上立神岩(かみたてがみいわ)
上立神岩(かみたてがみいわ)
「国生み神話」に登場する天沼矛や天の御柱のモデルではないかと言われる上立神岩。中央にハート型の窪みがあり、恋愛成就のパワースポットとしても人気。また、少し離れた南側には、中央に穴の空いた下立神岩がある。イザナギノミコトを上立神岩、イザナミノミコトを下立神岩に重ねる見方もできる。近年、漁師による漁船でのクルーズも運行されている。
沼島八幡神宮
沼島八幡神宮
豊漁や海上安全の神様を祀った沼島八幡神宮。永享8(1436)年の創建と伝わる。神社の森は、神社創建以前から神域とされてきたそう。拝殿正面には、「賤ヶ岳大合戦」を描いた巨大な絵馬が掲げられている。絵馬の主人公である脇坂甚内安治は、豊臣秀吉が天下統一前の柴田勝家との決戦で大活躍した武将の一人で、後に淡路守となった人。
小林 希さん

取材・写真・文 小林 希さん

旅作家・元編集者。著書に『週末島旅』(幻冬舎)や『週末海外』『大人のアクティビティ!』(ワニブックス)など。2014年に広島(香川県)で島の有志と『島プロジェクト』を立ち上げ「ゲストハウスひるねこ」をオープン。2019年に(一社)日本旅客船協会の船旅アンバサダーに就任。産経新聞などで連載中。

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