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うみかぜ紀行

古代をしのんで道後温泉

玉岡かおる・文

先日、新聞社主催の歴史フォーラムのパネリストとしてお招きがかかったのだが、なんと、開催場所は道後温泉。そりゃあホイホイ、引き受けるでしょ。

温泉嫌いな日本人ってあんまり聞かないけれど、同じく私も大の温泉好き。とりわけ道後の湯質はアルカリ性単純泉で、なめらかだから日本人の肌にほどよくなじむ。古くは鷺が傷を治したり、神話に出てくる少彦名命が重病から快癒したりと、その効能も抜群だ。何度も道後の湯には行っているが、何度だってまた行きたい。温泉につられて仕事を引き受けた後で、はて、どういうフォーラムだっけ、と主旨を確認する本末転倒ぶりであった。

伝説が語るとおり、長い歴史を誇る温泉なのだが、この湯にゆかりの人物としては、夏目漱石や正岡子規のイメージが濃く、木造三層楼の作りのレトロな建物とともに、明治の印象がとても強烈。しかし今回、この仕事によって、道後温泉には古代史の偉人、聖徳太子が訪れているということを知った。

そうか、私は「天平の女帝 孝謙称徳」という小説を書いているので、古代史通として招かれたわけだ。(決して温泉好きだからという理由ではなく。)

おかげで一気に古代へタイムスリップ。仕事の頭で道後温泉を見直すことになった。

聞けば、「伊予国風土記」には、法興六(596)年、伊予の温泉を訪れた聖徳太子がいたくここの湯に感動し、碑文を書いたと記されているそうだ。ただし伊予国風土記は現存せず、この文章を刻んだ碑もみつかっていない。

だいたい古代史というのは謎にくるまれた部分が多く、それ本当か? と疑ってかかるところが歴史への入り口になる。しかし、仮に昔の人の誇張であっても、それを信じる方が楽しい場合もある。この碑文だって、まだ真偽が研究し尽くされたわけではないが、スーパーインテリジェンスの聖徳太子がおなじみのあの冠や笏を置いて温泉につかり、いい湯だなー、なんて悦に入っている姿を想像したら、すこぶる楽しくなってくるではないの。

ちなみに碑文に書かれた文章の意味はこうだ。この温泉郷には椿が豊かに生い茂り、まるで天寿国にいるような幸せな気分だ――。

そうだろうそうだろう。古代人も現代人も、また偉人であっても庶民であっても、裸で湯の中に浸かれば思いは同じ。立派な楼閣の中の温泉も、また野生の椿が咲く山の中の温泉も、湯に秘められた癒やしの力は永遠だ。

ちょうどその日は「道後オンセナート 2018」(2019年2月28日まで)が開催されている最中で、これにもビックリ。著名なアーティストたちの作品が温泉街に出現し、レトロな本館が光のインスタレーションに彩られ、海外からの観光客もわんさか。

何度来ても昔のままにある温泉のよさと、来るたび何か新しいことを試みる人のパワー。きっと聖徳太子もにこやかに、様変わりする道後温泉を見守っているに違いない。

挿絵

PROFILE

玉岡かおる
作家。兵庫県在住。1989年、神戸文学賞受賞作『夢食い魚のブルー・グッドバイ』(新潮社)でデビュー。著書多数の中、『お家さん』(新潮社)で第25回織田作之助賞。文筆のかたわら、テレビコメンテーター、ラジオパーソナリティなどでも活躍。