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うみかぜ紀行

うちにいながら天かける橋を渡る旅

玉岡かおる・文

本来ならば今頃、オリンピックで日本中が沸きに沸いていたはずの’20年。コロナ禍は、すっかり世界中を変えてしまった。

やっと他府県間の移動自粛が解けたとはいえ、当初は、外に出てはいけない、集まっちゃいけない、触れてもいけない、と人間の社会的活動を全否定。私も、東京に住んでいる長女一家が連休におチビちゃんを連れて帰ってくるのを楽しみにしていたのに、かなわなかった。たとえかなっていても、その成長と可愛さに感極まってぎゅっと抱きしめたりすれば即刻NG。消毒液をぶっかけられていただろう。遠く離れた家族を分断する、それがこのウイルスの邪悪なところだ。

それでも自主的に自粛に務めた日本人。罰則もないのによくぞ守り通したものである。いろいろな過ごし方があったと思われるけれど、美術館も閉鎖となる中、自宅に名画が一枚あれば、さぞ慰めも大きかったことだろう。

わが家の壁にも何枚かの絵が掛かっているが、そのうち風景画は一枚。平山郁夫氏が描いた「天かける白い橋 瀬戸内しまなみ海道」。もともと長女の夫が自宅に飾っていたのがすばらしく、私も瀬戸田町の平山郁夫美術館に行った時にレプリカを求めたのだ。長女の夫は故郷が今治市だから、心に寄り添う風景だったのだろう。一目で、尾道と今治とを結ぶしまなみ海道のうち来島海峡大橋の部分を描いたもの、と場所を認識できる横長の絵だ。

来島海峡といえば、大島との間にすら来島、小島(おしま)、馬島、中渡島に武志島と、たくさんの島があって水面下の地形が複雑な上、霧などの発生が多くて見通しも悪く、なにより、日本三大急潮に数えられるほど潮流が速い水域として名高い。現在もなお、船は安全のため、潮流の向きによって定められた航路を行かねばならないという、まさに海の難所である。

なのにこの絵は、それら激しい海域をひとまたぎ。海に浮かぶ飛石のような島々をとんとんと繋いで延伸する橋が、平山氏のふんわりとした筆致とあいまって、穏やかな瀬戸内の海風をそよがせてくる。

瀬戸田町に生まれた平山氏がこの絵を描いたのは、橋が架かった翌年のこと。数えてみれば、夢の架け橋と言われたこの橋も、海の上で20年という歳月を刻んだわけだ。

平山氏は、旧制中学生であった時に広島市で被爆し、長く後遺症に苦しまれた。高名を不動のものにしたシルクロードの連作はもとより、「仏教伝来」はじめ、平和を希求する数々の作品は説明の必要もないが、晩年にたどりついた風景はやはり、ふるさとだった。

とはいえ遠く離れて思い続けた景色からは一変、そこには近代建造という名の新しい歴史の出現があった。画伯がいったいどんな思いでこの海と空とを眺めたことか、思いを馳せれば絵の前で過ごす時間は尽きなくなる。

コロナ禍はさまざまな影響を及ぼしたが、そこに行けなくてもそこに吹く風を感じる〝心の窓〟を開かせてくれたことは、間違いのない成果かもしれない。

挿絵

PROFILE

玉岡かおる
作家。兵庫県在住。1989年、神戸文学賞受賞作『夢食い魚のブルー・グッドバイ』(新潮社)でデビュー。著書多数の中、『お家さん』(新潮社)で第25回織田作之助賞。文筆のかたわら、テレビコメンテーター、ラジオパーソナリティなどでも活躍。