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とびしま海道

端出場ゾーンにある観光列車は実際に使用されていた鉱山鉄道を走る。トンネルと鉄橋は明治26年開通当時の貴重なもの。

マイントピア別子・鉱山鉄道

鉱山鉄道が走った
別子山中の産業遺産へ

新居浜市の市街地から山の方へ、マイントピア別子を目指す。そこは別子銅山のテーマパークで、最後の採鉱本部が置かれた場所。道の駅も併設されていて、銅山観光はそこから観光列車に乗って行く端出場(はでば)ゾーンと、少し離れた山中へ車で行く東平(とうなる)ゾーンに分かれている。

端出場ゾーンには観光できる坑道があり、観光列車でわずか5分。あっという間の旅だけれど、トンネルを抜け、鉄橋をわたり、採鉱に向かっている気分を味わえる。当時の様子はどんなものだったのだろう。ぜひ知りたい。

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観光列車のルーツがここに!
壮大なドラマが眠る東洋のマチュピチュ

別子銅山は元禄4(1691)年の開坑に始まり、昭和48(1973)年に閉山されるまで283年にわたり住友一社のみで経営された日本三大銅山のひとつ。海抜1200mの険しい山中から海面下1000mに至る壮大なスケールで、下へ下へと掘り進めていき、採鉱本部も時代とともに下りていった。

東平は、大正から昭和初めにかけて採鉱本部が置かれた場所。標高約750mの山中にあり、アクセスは車しかない。せっかくだからガイド付の観光バスで行こう。エピソード満載の案内は聞き逃せない。

「東平は最盛期には5000人が暮らしていました。学校、劇場、居酒屋、スーパーマーケットまであって、山の下からわざわざ買いに来るほどだったんですよ」。今は深い緑に覆われる静かな山中に、そんなに大きな街ができていたなんて想像もつかなかった。

「日本初の山岳鉱山鉄道も走っていました」と示された方を見ると急峻な山。物資の運搬を効率化するため断崖絶壁の山肌を縫うようにレールが敷かれ、ドイツ製の蒸気機関車が走っていた。端出場ゾーンで乗った観光列車は、それを復元したものだったのか。

鉄道やトンネルが通っていないところは索道(さくどう)と呼ばれるロープウェイが作られ、物資が運ばれた。なんて考え抜かれた先端的な街だったのだろう。「ここで働いていた人に聞くとね、苦しいこともあったけれど楽しかった、平和だったと言います」。壮大な遺跡を前に当時を想像すると歓声が聞こえてくるようだ。

東平へ向かう途中に電力を供給した水力発電所が見える。写真は明治45年(1912年)完成の旧端出場水力発電所で、令和4年以降に内部見学ができる予定。
ガイド付の観光バスは事前予約がおすすめ。1月~2月は、東平は通行止めとなる。
貯鉱庫、選鉱場、索道基地の跡。坑道から運び出された鉱石はいったんここへ貯められ、石と鉱石とにより分け、索道と呼ばれるロープウェイで端出場まで降ろされた。
貯鉱庫跡。この穴から選鉱場のベルトコンベアに鉱石が落とされた。
索道基地跡。別子銅山には索道がいくつも通り、東平は物資輸送の中継所だった。
山岳鉱山鉄道が開通したのは明治26年。東平の向かいにそびえる山肌に沿うように走っていた。

端出場ゾーンで、別子銅山の変遷を体験

マイントピア別子から乗る観光列車の終着駅には、観光坑道が広がっている。坑内は体験型遊学パークになっていて、江戸時代から近代までの別子銅山の様子が再現され、楽しみながら歴史や採鉱について学べる。

採鉱や運搬作業を体験できるコーナーは子どもに大人気。
観光列車の乗り場は道の駅の2階にある。

マイントピア別子

住所/愛媛県新居浜市立川町707-3
TEL/0897-43-1801
定休日/年中無休
※東平は1月~2月は閉鎖。12月は雪、凍結による通行止めの可能性もあるので施設に要確認。
営業時間/【鉱山観光】春休み~10月/9:00~18:00、11月/9:00~17:00、12月~春休み/10:00~17:00
※その他の施設は営業時間が異なる。
【東平観光バス】出発時間 11:00、13:00(所要時間約2時間)
料金/【鉱山観光】大人1,300円、中・高校生900円、3歳以上700円(鉱山鉄道の料金込み)
【東平観光バス】大人(中学生以上)1,350円、小人(3歳以上)750円
【鉱山観光と東平観光バスとのセット】大人2,050円、中・高校生1,850円、3歳以上1,150円
駐車場/あり

鉱山鉄道の終着駅から坑道内に入るまで渓谷美を楽しめる。
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