ホーム > 瀬戸マーレ vol.22 > うみかぜ紀行
情報誌「瀬戸マーレ」

うみかぜ紀行

収穫は豊かなり

玉岡かおる・文

田園地帯に住む私には、秋は、黄金の稲穂の実りとともにドカンと実感させられる。

大きなコンバインが田に入り、なにやら不自由そうに数回の方向転換を繰り返しているなと思ったら、みごとに稲は刈り取られ、あとには裸ん坊の平地が広がるばかり。それは爽快なまでの、人の力の"完勝"だ。

むろん、この日に至るまで、不断の努力を怠らなかった者だけが手にできる収穫であるのは言うまでもない。

まだ肌寒い時期の土起こし、春先には水を引いて田植えとなり、夏のさかりは天候との戦い。手を入れ、心を注いだプロセスなしには、豊穣の実りは得られないだろう。

その一方で、人の手が入らない山や海には、本来、自然がもたらしてくれる恵みがあった。

四方を海に囲まれ、たっぷりとした雨が降るこの日本は、稲作が伝わる以前の縄文時代、神々が特別愛したのかと思えるほどに、森にも山にもゆたかな収穫のある地であった。

松茸狩り、りんご狩り、芋掘り、栗拾い……現代でも続けられる収穫のイベントは、すべて、森の恵みにくるまれて過ごした時代につながる記憶といえるだろう。今も各地にさまざま、一般向けの農園が、収穫の醍醐味を味わわせてくれるのはうれしいかぎり。

むろん海でも、潮干狩りや底引き網など、観光用に、手軽に体験できる漁港もある。

ふだんコンクリートの無機質な街で暮らし馴れた子供たちが、緑の山でみつけた果実を目を輝かせながらもぎとったり、跳ね踊る魚を懸命に捕まえようと格闘する姿など、つい、一緒に手伝わずにはいられなくなる。

収穫とは、地球がくれる大きなごほうび。どんな人にも、手放しでうれしくなれる遠い祖先の記憶が刻まれているにちがいない。

と、言うからには、田と同じく、そこにも人は丹念に手を加え、努力を怠るべきでない。

今や、自然が無条件に人に実りを恵み与えてくれた縄文時代とは大きく異なり、人が地球を大きく変えてしまっている。山でも海でも、豊穣の収穫は健全な環境があってこそ。

水を汚し大気を曇らせ温暖化してきた文明のツケに思いを馳せ、なおあり余る地球の恵みを享受できる幸せを、胸に刻みたいものだ。

PROFILE

玉岡かおる
作家。兵庫県在住。1989年、神戸文学賞受賞作『夢食い魚のブルー・グッドバイ』(新潮社)でデビュー。著書多数の中、『お家さん』(新潮社)で第25回織田作之助賞。文筆のかたわら、テレビコメンテーター、ラジオパーソナリティなどでも活躍。
挿絵
TOPに戻る