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うみかぜ紀行

世界の町に行けなくても

玉岡かおる・文

コロナ禍はいろいろ残念な影響をもたらしたが、海外旅行をキャンセルしなければならなかったこともその一つ。私も、初めて訪れるイスタンブールで美術館めぐりを楽しみにしていたのに、今は図録を眺めて、いつ行けることやらとため息をつく毎日だ。

だが海外に行けないからといって嘆くなかれ。飛行機が飛ばなくてもパスポートがなくても、世界の名画が見られる場所がある。

本州-淡路島から四国方面へ、大鳴門橋を渡り終えると見えてくる巨大な建物。大塚国際美術館である。徳島を創業の地とする大塚製薬が75周年記念事業の際に創出した美術館で、渦潮で名高い国立公園にあるため地下へ掘り下げ高さを制限してある。ここにはなんと、千枚を超す世界の名画が集まっている。

私もこれまで、決して安くない旅費をつぎこみヨーロッパの国々をめぐっていくつか名画を見てきたが、各地の美術館に分散している名画も、ここならまとめて見ることができる。たとえばモネの《睡蓮》のシリーズは戸外で池にぐるり囲まれ自然光の下で鑑賞できるし、《受胎告知》のような共通のテーマ作品も、ルネッサンスの巨匠がそれぞれ描いた傑作がズラリ集結。さらに、有名なダ・ヴィンチの《最後の晩餐》も、修復のビフォー・アフターを2枚並べて見られるし、消失したゴッホの《ひまわり》のような幻の絵も実際に目の当たりにできる、という贅沢さ。

それというのもここの収蔵絵画はすべて、究極の技術を使って陶板に焼かれた精巧なレプリカ。本物と同サイズなのはもちろん、絵の具の盛り上がりや筆の跡まで立体的に再現してある。陶板だから二千年は褪色せず、コロナ下でなければじかに触れることもできたほどで、一緒に写真を撮れるのが他の美術館にはない特徴だ。

なんだ本物じゃないのかと思う人もいるだろうが、実際に見ればその迫力にたじろぐはずだ。本物はオーラが違う、などと言うけれど、《モナリザ》だって来日すれば大行列のすえ、ロープを張られた先の防弾ガラスの囲いの中でやっと小さく見える程度。オーラというなら、好きなだけ直に眺めていられるこちらの絵の方が圧倒的に力が強い。

驚くべきは、平面的な絵画ばかりではなく、システィーナ礼拝堂の装飾画など、空間そのものを再現した〝環境展示〟があることだ。30年前、私も初めてバチカンを訪れたが、当時は平和で、誰でもゆるゆる入れたのに、5年前の再訪では、テロ対策の手荷物検査で大行列。入るのに一日つぶれてしまった苦い経験がある。しかしここならいつでも開放。結婚式や歌舞伎、将棋の対局などでも使用されている。むろん私のお目当てイスラム絵画も選りすぐり。次に行くときの予習にばっちりだ。

瀬戸内海を渡るから、文字通り〝海外〟の美術館。全部見るなら館内は4㎞もあるアートの道だ。むろんこの状況下、コロナ対策は万全。ドキドキしたり、感動したり、心の活動をしに、橋を渡って出かけていこう。

挿絵
バチカンのシスティーナ礼拝堂を再現した「システィーナ・ホール」

PROFILE

玉岡かおる
作家。兵庫県在住。1989年、神戸文学賞受賞作『夢食い魚のブルー・グッドバイ』(新潮社)でデビュー。著書多数の中、『お家さん』(新潮社)で第25回織田作之助賞。文筆のかたわら、テレビコメンテーター、ラジオパーソナリティなどでも活躍。