恩山寺から立江寺に向かう界隈は、源義経ゆかりの地。 屋島へ逃れた平家を追って、義経は徳島県小松島市の田野町に上陸し、進軍したと言われています。 その進路は現在「義経ドリームロード」と呼ばれ、数多くの史跡が残されています。 里山風景が広がる遍路道を歴史ロマンに浸りながら歩くのも乙なものです。
行基菩薩が建立。当時は「大日山福生院密厳寺」と称した。女人禁制だったが、修行中の弘法大師を母君が訪ねて来られ、大師は滝に打たれて修行し、女人禁制を解いて迎え入れ、孝行した。喜んだ母君は剃髪して出家し、その髪を奉納したことから、山号寺名を「母養山恩山寺」と改めた。大師堂の本尊の弘法大師像は、人々が難を逃れ、福が訪れるように祈って大師自ら彫ったもの。
【本尊】薬師如来
聖武天皇の勅願により、行基菩薩が光明皇后の安産を祈って約5.5㎝の黄金の「子安の地蔵さん」を彫造し、本尊として堂塔を建立したのが始まり。弘法大師はその小さな本尊が失われるのを恐れ、自ら1.9mもある地蔵像を刻み、その胎内に小さな像を納めた。四国中の僧が集まる根本道場であり、邪心のある物は先に進めない「阿波の関所」として知られている。
【本尊】延命地蔵菩薩
立江寺へ向かう白鷺橋は、白鷺が止まると凶事が起こり、罪を犯した人が来ると白鷺が降りて渡れないといういわくの橋。また、男と不義密通を犯し、夫を殺して逃げたお京は、本尊を拝もうとすると鐘の緒に髪の毛が絡みつき、頭から剥がされたと伝えられています。
神戸市在住。仕事を持ちながら休日だけの札所めぐりを続けて、現在までに20回以上巡拝。そのほとんどが歩き遍路である。歩くたびに新しい出会いがあり、新しい自分を発見すると言う。四国八十八ヶ所霊場会公認先達。NPO法人遍路とおもてなしのネットワーク理事・女性お遍路相談員。www.omotenashi88.net
〈公認先達〉四国八十八ヶ所霊場巡拝を重ね、弘法大師の教えに帰依し、新しく巡拝する人たちにお遍路の心得などを指導し、手本となることができると認められた人。四国八十八ヶ所霊場会が審査、認定している。