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情報誌「瀬戸マーレ」

うみかぜ紀行

赤穂のドラマは永遠に

玉岡かおる・文

時代劇で、日本人の誰一人としてこれが嫌いなわけがない、というほど、老若男女、みんなが入り込む物語。それって、なーんだ?

テレビや芝居などでも、視聴率が低かったり客の入りが悪かったりすると、切り札のように登場するあの物語、といえばもうおわかりだろうか。播州人の私には、とりわけエヘンと胸を張りたくなる不滅のドラマ。そう、忠臣蔵だ。赤穂浪士、と題される場合もある。その名のとおり、播州赤穂のさむらいたちが実際に起こした事件である。

戦がなくなり、泰平の世を謳歌していた江戸時代の人々には、それはびっくり仰天のできごとだった。なにしろ一国の大名が殿中で刀を抜いて恨みの相手に斬りかかるなど前代未聞だったし、その家来たちが雪の夜に大挙して、主君の仇討ちを果たすなんて、ただあっぱれと快哉を上げるほかなかった。

これを物語にし、多くの人々に感動を伝えたのは大阪人。
人形浄瑠璃の作者である。

大坂竹本座で上演された『仮名手本忠臣蔵』は空前の大ヒットとなる。もちろん当初は、何があったか、なぜそうなったか、事件の全容を知りたいという興味がきっかけだろう。しかしそこには、恥ずかしい生き方をするくらいなら死を選ぶほど誇り高き男たちや、愛のためには身を惜しまない女たちが、懸命にあがいて生きる姿が描かれている。彼らはどう考えてどう動いたか、そして自分だったらどうするか。想像力の全てを使い、見る人々も全身全霊で物語の世界を生きる。連日、芝居小屋には観客が押し寄せ、やがて歌舞伎をはじめ、さまざまな芸能の作品に姿を変えて、広く大きく、この国の人の心に浸透していく。

先頃、補助金打ち切り問題で揺れる大阪の国立文楽劇場でも、一日がかりで上演する〝通し狂言〟による忠臣蔵が二十年ぶりに上演され、千秋楽は満場の観客でひしめいた。後半だけでも五時間かかる公演は、さすがに私もお尻が痛くなったが、古典の力とは、時代や社会がどれだけ変わっても揺らがない、普遍の感動なのだと知らされた。

何百年も受け継がれ、決して飽きない物語。赤穂のさむらいたちの生きざまを、物語に変えて発信した大阪人の感動力は、きっと日本人のこころのルーツであるにちがいない。

PROFILE

玉岡かおる
作家。兵庫県在住。1989、神戸文学賞受賞作『夢食い魚のブルー・グッドバイ』(新潮社)でデビュー。著書多数の中、『お家さん』(新潮社)で第25回織田作之助賞。文筆のかたわら、テレビコメンテーター、ラジオパーソナリティなどでも活躍。
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