冬晴れの赤穂にやって来た。ここは赤穂四十七義士の歴史ロマンと共に、塩の産地として栄えたところである。
海に囲まれながらも、多雨多湿の日本で塩を作ることは、相当に困難であったらしい。かの浅野内匠頭の祖父が、瀬戸内海沿岸で始めた「入浜式塩田」のおかげで、赤穂は「塩の国」と呼ばれるほど、塩で栄えるようになった。
赤穂の塩は今も全国で愛されている。目減りが少ない、つまりは湿気にくいという質の高さと、奥深い味わい。江戸時代には塩の回船により、瀬戸内海から全国に運ばれていった歴史もある。
広大な塩田跡にある海洋科学館内「塩の国」では、塩田が再現されていて、塩づくりの歴史にふれることができた。かつては浜男と呼ばれる人たちが厳しい労働で塩づくりを支えたらしい。今、間近で見る塩田は牧歌的で平和なムードが漂っている。
赤穂の中心街へ出てみると、塩にちなんだ商品をあちこちで見かけた。塩はもちろん、名物の塩味まんじゅうの店が何軒もある。
元祖・塩味饅頭の「播磨屋」は、嘉永6年(1853年)に「汐見まん志う」として赤穂の美しい夕日を模した饅頭を売り出したのが始まりだ。塩を含んだ餡と、寒梅粉と砂糖の外皮が口中でほどける風味がいい。
甘さを引き立てる、塩の力がここにも生きていた。
- 入浜式塩田で行う「潮かけ」。浜男たちの相当な重労働による作業であったが、昭和47年以降は現在のイオン交換膜法に全て変わり、画期的な躍進を遂げたことから、塩田は姿を消した