ホーム > 瀬戸マーレ vol.16 > うみかぜ紀行
情報誌「瀬戸マーレ」

うみかぜ紀行

春は海のむこうから

玉岡かおる・文

今年の冬は、北国では近年にない豪雪で、瀬戸内海でも、紺碧の海に逆立つ三角波が白くけわしい日は少なくはなかった。

それでも春は確実に、海のむこうから訪れる。

空が青く晴れわたる風のない日。まるで大気に凸レンズがかかったかのように、はるかな対岸、見えなかった島々も、色濃くその存在感を主張する。海峡をまたぐ大橋の勇姿も、ぐんと迫って見えてくる。そして海はブルーの陶板のようにどこまでも凪ぎ、行き交う船をオブジェのようにのんびり見せるのだ。

瀬戸内の春。

空気の動きに敏感なのは、土に根ざした命のほうだ。まず花のたよりがもたらされてくるのも海のむこう。
水仙が咲き梅が咲き、チューリップが咲いて春を呼ぶ。

こうなると人もじっとしていられない。
さっそく車を走らせ、友人たちと恒例の旅。

淡路島へ。日ごろ、旅の積立までしている仲良し会は、もとはママ友、主婦ばかりだから、たった一泊二日といえど家事から解放されるのがまずご褒美だ。そのうえ尽きないおしゃべりに花を咲かせ、温泉があればもう完璧。

巨大な橋のてっぺんで、空と海を腕の中に収めたら、ストレスに満ちた日常のことが、全部、背後に飛んでいく。家族のことも仕事のことも、しばし海のあちらに置き去りにして、自分個人にもどれる得がたい時間だ。

その夜は満月。海を見下ろす露天風呂に身を浸らせると、海面を照らす月光のしたたるような白い輝きに、心も体も透き通る。

飽きることなく眺める海と、何度も入る温泉と、そしておいしい料理と笑顔満載のおもてなし。日本の伝統の中でこまやかに洗練された旅の受け手は、おそらく日本が世界に誇れる文化だろう。

パスポートがいるような旅でなくとも、遠くに来たねという実感はまさに旅。
海から訪れる春は、人を旅へといざなうメッセンジャーに違いない。

PROFILE

玉岡かおる
作家。兵庫県在住。1989年、神戸文学賞受賞作『夢食い魚のブルー・グッドバイ』(新潮社)でデビュー。著書多数の中、『お家さん』(新潮社)で第25回織田作之助賞。文筆のかたわら、テレビコメンテーター、ラジオパーソナリティなどでも活躍。
挿絵
TOPに戻る