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うみかぜ紀行

つわ者どもの酒盛りのあとに

玉岡かおる・文

播磨に住んでいるから海鮮と言えば瀬戸内の”前獲れ”が一番、と信じて疑わずにいる私だが、時折、そんな一点張りではいられない場合がある。疑り深くかみしめながら、うーん、ここのサカナもなかなかやりよるわい、などと黙り込むのは、たしかに美味しい証なのである。

そんな一つが、四国宇和島の鯛飯をごちそうになった時。

鯛は、四国と九州の間に横たわる豊予(ほうよ)海峡で獲ったもの。流れの速い海流に揉まれ、鍛えられた身であるというのは播磨明石海峡の鯛と同じメカニズムであろう。それが生の切り身のままご飯の上に乗って登場するのがここの郷土料理の鯛飯という。

「いやあ、お口に合いますか」

謙虚な口ぶりでごちそうしてくださったのは、長女の岳父=長女の夫のお父さん。代々愛媛の方で、地元のよきものに精通していらっしゃる。ご縁ができて以来いろんな機会に食事をご一緒するが、その地その地の美味しいものをよくご存じなのに驚かされてきた。だから今度もハズレはないだろうと予想できたが、いやはや、これが先述の「うーん、なかなかやりよる」のコメントとなったわけ。むろんそんな失礼なこと、実際には口にはしないが、黙々と食べて、おかわりまでしたのが私の本音を表していたことだろう。

そもそも宇和島の鯛飯というのは、船乗りたちが船上で催す酒盛りのシメになるご飯だったそうで、浴びるほど酌み交わした酒の椀に飯を盛り、釣ったばかりの生の鯛を切り身にして乗せ、醤油だけをぶっかえて食べたものという。そりゃ美味いはずだわ。

地図で見ると宇和島の海域にはいくつもの島々が浮かんでおり、中でも日振島は、平安時代末期に起きた「藤原純友の乱」で首謀者の純友の砦があった島。昔から船の往来が多く、一説には火を振って合図しあったことからその名があるそうだ。

純友は腐敗した朝廷に不満を持って歯向かった海賊の頭目とされているが、一時は淡路から大宰府などを襲撃するほどの勢いがあったといい、武士の台頭を促していく。まさに自由放埒な男たちのイメージだが、そもそも悪党とか賊とか呼ばれる者は権力者から見て「従わない者」のことをさすから、あながちかけ離れた想像ではないだろう。

海から昇る日をあおぎ、また海に沈む夕日を眺めていれば、みやこでこびへつらって宮仕えする自分が馬鹿馬鹿しくなってくるのもうなずける。ましてこんな美味い海の幸があり、豊かに彼らを食わせてくれるというのなら、他に何の望みがあるだろう。

今、いただく鯛飯はちょっと進化し、醤油だけでなくみりんやだし汁、生卵にごまなど、特製のタレを熱いごはんにかけていただく。それでも、海原を駆けた男たちを夢想すれば、耳元に海風が聞こえるようで、口の中に残るワイルドな香りがまたたまらなくなる。

挿絵

PROFILE

玉岡かおる
作家。兵庫県在住。1989年、神戸文学賞受賞作『夢食い魚のブルー・グッドバイ』(新潮社)でデビュー。著書多数の中、『お家さん』(新潮社)で第25回織田作之助賞。文筆のかたわら、テレビコメンテーター、ラジオパーソナリティなどでも活躍。