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せとうち美術館紀行 第9回 東山魁夷せとうち美術館

色彩豊かな風景画に酔う

東山魁夷せとうち美術館に関しての対談3

日本人の心の奥深くに共鳴する作品の魅力

山木:
魁夷さんの作品づくりにおける、他の日本画家に見られないような特徴的な点はありますか。本画にいたるまでにスケッチを繰り返すなど、試行錯誤がきっとあるのでしょうね。

北地:
必ず現地に行ってスケッチをする、旅がお好きということですね。ご自分で「放浪癖」といってしまうほどです。もちろんそれはスケッチのためで、旅をしているときに自分の気持ちが描きたい風景に巡り会ったときにスケッチをするわけです。画家によってはラフなスケッチをして家に帰ってじっくり描く方もいらっしゃるんですが、魁夷さんの場合はスケッチの過程からわりとしっかりと色をつけ、丁寧なスケッチをしています。これは東京美術学校時代に師である結城素明(ゆうき そめい)という先生から、「絵を描くときはよく自然を見てきなさい」という教えを受け、それに従って気持ちを大事にしてスケッチから始めるという作品づくりをしています。

山木:
天候や時間というのは大きいファクターですけれども、夕暮れ時、あるいは朝、そして天候も霧がかかっているような景色が多いですね。こういうバリエーションに満ちている点も特徴的かなと思います。

北地:
そうですね。タイトルに時間が感じられるものもあります。海を描いた作品が何点もありますが、一つ一つどういう海とか、どういう波とか、潮の音とか、その時々の魁夷さんが体験した思いがタイトルになっています。四季を通して寒い冬も朝から夜までたくさんスケッチをしている魁夷さんならではのことですね。

山木:
ある特定の場所をスケッチの段階からしっかり描いているにもかかわらず、普遍的な場所といいますか、私たちがいつも見ている山や海をベールをはいでみたような新鮮さを感じます。個別性というか普遍性というか、ある場所のある時間を描いているにもかかわらず、誰もがどこかで見たようなそういう感覚を覚えますね。

北地:
そうですね。

山木:
館長から見て東山魁夷さんの絵の魅力ってどのへんにありますか。

館長:
魁夷さんは「風景は心の鏡」だとし、「向かい合った風景を見つめているうちに『絵を描いてくれ』と風景が語りかける」と言っています。魁夷さんの絵は心象風景と言われますが、心の奥深い祈りというものに通じるところがあり、非常にわかりやすくてきれいです。その他にも温かい、優しい、静けさ、そういうものがあって、日本人の心の奥深くに共鳴する部分があるのが特色だと思います。ですから、絵がそれほど好きでない人を含めて、多くの人に、親しみを持って見ていただけるのだと思います。

山木:
確かに日本の山の魅力のようなものがよく出ていますよね。 外国の方もこちらの美術館に来られると思うんですけれども、感想はありませんか。

館長:
見て驚き、感動し、非常に喜んでくださる方が多いですね。この美術館のいいところは、魁夷さんの絵が心の癒しや安らぎ、潤いを与えてくれることです。そして絵だけでなくて建物もそういう空間になっていて、癒しを感じられます。ラウンジからの景観もそうです。年に何回も来てくださるリピーターのお客さまが多いことは、この美術館のひとつの特長ですね。およそ3割から4割は県外からで、日本全国から来られます。こんな小さな美術館ですが、開館以来、去年の7月で入館者が50万人になりました。

山木:
それはすばらしい。

館長:
職員3人体制で対応しているのですが、最小の職員、最小の予算ということで、当初は年間3万人の来館者を目標にスタートしました。初年度は13万人近く来館者があり、今でも昨年は6万4千人、今年は少し減りまして5万人ぐらいですけれども、開館7年目でこの規模の大きさ、職員で、年間5万人というのはおそらく他に類はなかなかないだろうと思います。それはやはり東山魁夷というビッグな名前とこの建物、景観というものがあってのことだと思っています。

作品の世界にあう建物に感動や驚きがいっぱい

山木:
建物のお話しが出ましたが、設計は谷口吉生さん、谷口建築設計研究所ですね。設計にあたって美術館から要望は何か出されたのですか。

館長:
谷口吉生さんは、東山魁夷さんの人となりを一番よく知っている建築家です。それまでにも長野県の信濃美術館・東山魁夷館や、丸亀市の猪熊弦一郎現代美術館を設計しています。また、皇居の東宮御所の設計を谷口吉生さんのお父さんの谷口吉郎さんがされ、子どもの頃から東山家に行くなどお父さんの代からいろいろつながりがありました。そういうことで魁夷さんの奥様のほうから、「設計は谷口吉生さんにお願いしてはどうですか」と言われ、設計していただいたのです。 谷口先生は、魁夷さんのおじいさんの出身が櫃石島ということで、設計にあたってはゆかりの島が眺望できることを出したい、東山魁夷の作品に合う建物にしたい、版画作品でも勝負ができる建物を造りたいと考えておられました。当時、モダンアートを展示する美術館としては、世界で一、二を競うほど大きなニューヨーク近代美術館[MoMA]本館のリニューアルのプロジェクトを手がけていて、同時並行で一番小さいぐらいの東山魁夷せとうち美術館を設計されていたのです。いろんなこだわりを持ってつくっていただき、結果的には谷口先生にお願いして本当に良かったと思っています。それがあったからこそ、今もこうしてたくさんの方にお越しいただいています。

山木:
東山魁夷さんと谷口吉生さんは生前につながりがあったのですね。

対談イメージ

館長:
それはもうたくさん。昭和39年頃に魁夷さんは東宮御所の壁画をつくっておられますが、その東宮御所の設計をされていた谷口先生のお父さんに連れられて魁夷さんのお宅に伺い、大事にしていただいていたそうです。 おもしろいのは、この美術館の東側に沙弥島というところがありますが、そこに谷口先生のお父さんの吉郎さんが設計した地元出身の方の歌碑があるんです。お父さん、息子さんともにこの地に縁があるんですね。

山木:
そうなんですか。 谷口吉生さんは世界的な建築家として名をはせていらっしゃって、美術館をたくさん設計されています。そういう意味で、数々の美術館の建築を手がけてこられた試行錯誤の結果、この美術館に最良のものが結実しているというふうにも見られるのではないでしょうか。

館長:
谷口先生は、先ほども言いましたが長野県信濃美術館・東山魁夷館や丸亀市の猪熊弦一郎現代美術館も設計されました。それ以前には山形県の土門拳記念館や愛知県の豊田市美術館を設計されるなどいろいろな美術館を手がけられています。そうしたコンパクトにまとまった美術館設計の集大成というようなかたちで、この美術館ができたのだと思います。地域の環境などにもうまく溶け込み、植栽にも非常にこだわりがあります。冬場は葉っぱが落ちていますが、5月の連休明けの新緑の頃には木々が芽吹き、周囲は緑でいっぱいになって本当に癒されます。

対談イメージ

山木:
館内もすばらしいですね。ストレートな縦や横の線が清潔感があって美しく、それが病院のようなクールな感じになっていません。そしていろいろなところに驚きが秘められています。特に2階展示室からラウンジに下りていく中2階から見える景色は、海だけが切り取られたようなかたちで魅力的な見せ方をしています。

館長:
美術館というところはいくつかの驚き、感動を持っていただけるような仕組みを用意していないと、お客さまにまた来ていただくことにはなかなかならないと考えておられたようです。それがラウンジに下りていくところの景色であったり、1階の展示室入ってすぐの高い天井だったりするわけですね。

山木:
1階展示室の天井はずいぶん高いですね。どのくらいあるんですか。

対談イメージ

館長:
6mあり、ゆったりと落ち着ける空間になっています。 縦横のラインは普通であれば無機質な感じを受けるのですが、ここでは非常に品格があって温かくて優しい。その温かさ、優しさというのは魁夷さんの絵に通じるものがあります。これは絵に合うようにと谷口先生が考えて設計されているんですね。 ただそういうこだわりがありますから、ミュージアムグッズ売り場はあえて隠されています。極論すれば、「ああいうものはなくてはいいんだ」と谷口先生は言われるわけですね。でも、「何も無いではお客さまが記念に何か欲しいといわれますから」ということで、隠したスペースにミュージアムグッズを置いています。その反対側の木の壁面には、一般的な美術館でしたらポスターのようなものをいっぱい貼るわけですが、それも限定されて一切貼ってはならないと。いろんなものを勝手に置いてはいけないと。でも、そのこだわりは大切にしないと、お客さまはお金を出して遠いところから来られるわけですから「来て良かった」と感動や潤いを感じたり、日頃味わえない空間に触れたりということができません。それがないと満足していただけませんので、そのあたりはさすがだなと思います。

山木:
美術館というのは絵を見ることだけが目的だと考え、入館者の目線はいつも同じところを漂っていく空間設計が一般的です。ところが、谷口さんの建築では、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館もそうですし、ニューヨーク近代美術館[MoMA]もそうですが、作品を下から見上げたり、上から俯瞰するところがありますよね。もちろん、その作品に相対するための伏線として、そういう仕掛けを作っているわけですが、縦のラインの驚きと言いますか、見る側が歩きながら探し出していけるようなところがたくさんあります。これが谷口建築の魅力なのかなと思いました。

館長:
美術館も昔のスタイルのように、箱をつくって用意して、ある程度は作品で勝負するというのでは開館当初はそれでいけるかもしれませんが、何年か経てばお客さまがあまり来られなくなります。しかし最近はそれが変化しています。その典型が、金沢21世紀美術館や安藤忠雄さんの地中美術館(香川県)などで、いろんな楽しみ、仕掛けがセッティングしてあります。安藤さん設計の直島の美術館も、常設であっても見る季節や朝・昼・夕という時間帯によって、またその人の気持ちのありようによって作品の見え方が微妙に異なります。そういうものでないと何回も来ていただくことは難しいですね。

海外留学を経て、新しい日本画に挑戦

山木:
先ほど魁夷さんの師匠は結城素明さんと言われていましたが、この師弟関係や影響と変化みたいなものがあれば説明していただけますか。

北地:
結城素明という先生は東京美術学校(現東京芸術大学)の日本画の先生なのですが、ご自身が西洋画の勉強もされていました。魁夷さんは美術学校を卒業して海外に行かれたのですが、当時、日本画家としては海外に行く必要はそんなになかったんですね。止める人もいた中で、結城先生はこれからの新しい日本画の発展を広い視野から見て、「ぜひ行ってこい」と言われました。結城先生ご自身も海外に行かれた経験があり、魁夷さんは一度世界に出て勉強したいと意欲的に海外に飛び出しました。これは先生の励ましが大きかったと思います。

山木:
そこでいろいろなモチーフを手に入れたり、いろいろな連作が生まれたりということがあったのでしょうけれど、作風としてドイツで学んだことが下地になって隠れて生きているということがありますか。

北地:
留学中にドイツで描いた絵というのはスケッチでした。日本に帰ってきて「ヨーロッパスケッチ画展」というのが開催されますが、これは魁夷さんが60代になってからのものです。当時の若かった頃の情熱を再びよみがえらせようということで思い出の地ドイツに行き、その旅行以降はひとつのシリーズになるぐらいドイツを描いたたくさんの作品が生まれています。

山木:
骨太の抽象的な文様のようなものが作品に隠れているような気がしますよね。そういうのは隠れた影響なのかなと思います。

対談イメージ

館長:
ドイツに行って外国から日本をもう一度振り返ったんですね。日本の絵の良さというのはどこにあるのかと。魁夷さんの絵の中には安土桃山時代の大和絵的なものがあり、明治以降の日本画を脱皮しよう、新しい日本画に挑戦しようという思いが非常に強くあります。魁夷さんの戦前の絵は、実は従前の絵なんですよ。戦後になって、生と死に深く関わった中から《残照》のような祈りに通じる絵が生まれ、次に《道》のような絵が生まれてきます。つまり風景をそのまま描くのではなく、絵に心を映すというような絵です。それが日本の戦後の復興のエネルギーとうまく合致して、一躍時の人になったわけです。魁夷さんの絵にはただ美しい、きれいだけではなくて、その中に日本人の心の奥深くに共鳴する温かみや優しさや静けさがあります。だから戦後ナンバーワンの人気作家になったんだろうと思います。

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