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情報誌「瀬戸マーレ」

うみかぜ紀行

ひとり道・こころ道

玉岡かおる・文

旅にはいろいろ目的があるが、お遍路さんになって行くのは何の説明もいらない旅だ。

ある人は大事な人を失いその供養のために寺院をめぐって祈りを捧げたいのであろうし、ある人はまた、自分をみつめ直して癒やしや安らぎを求めたいのかもしれないし。

何にせよ、ほとけのおわす清浄な世界を肌で感じ、心落ち着け、バランスをとりもどすことを目的とする旅であるのは間違いない。

実は私も数年がかりで関西の古社、名刹を歩く旅を続けていて、それが百八に達し、今春、一冊の著書にまとめるところだ。(『にっぽん聖地巡礼の旅』)ストレス社会と言われる現代だが、日本人は千年前から、その解決のため、無数の寺社を心のよりどころとした事実には圧倒される。

もっとも、取材では思わず「見どころは」「パワースポットは」なんて尋ねてしまって反省しきり。いくら歴史的なお寺でも、参詣であり修行なのだということを、つい忘れてしまうのだ。おそらく、境内に踏み入った時の聖と俗との分離の明瞭さに、えらいところに来た、と大きな達成感があるからだろう。えいっと決心しなければ行けないような深山の寺ならなお、ご朱印だって、記念スタンプのコレクション感覚になってしまう。

「どんなやりかたでも、お参りは人それぞれでいいのですけれどね」

笑ってそう言いながら、西国三十三所番外の寺、花山院のご住職が教えてくださったのは〝札所〟の意味。本来は巡礼者が参拝のしるしとして、札を納めたり受け取ったりすることをさすのである。ということは、せめて家でお経を写し、それを納めた代わりに朱印を受ける、というのが正しいようだ。なるほど、ご朱印をいただく場には、「納経所」と看板があるのだし。

巡礼の旅は心の旅。自分しか見えない内側をみつめ、磨いて、そこにほとけの姿を映す旅なのだろう。著書を送り出したら私も四国へ、八十八所へ、出かけたいと願っているが、その長い道のりは、きっと自分の知らない自分をみつける旅になりそうな気がする。

PROFILE

玉岡かおる
作家。兵庫県在住。1989年、神戸文学賞受賞作『夢食い魚のブルー・グッドバイ』(新潮社)でデビュー。著書多数の中、『お家さん』(新潮社)で第25回織田作之助賞。文筆のかたわら、テレビコメンテーター、ラジオパーソナリティなどでも活躍。
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