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せとうち美術館紀行 第1回 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館

丸亀市猪熊弦一郎現代美術館 現代美術って楽しいね!

 JR丸亀駅前にある、「丸亀市猪熊弦一郎現代美術館」。日本で数少ない駅前美術館です。駅から同館には、黒・赤・黄と色鮮やかな3つのモニュメントが誘い、馬が描かれた大壁画が出迎えてくれます。  ここに収蔵するのは、国際的画家で三越の包装紙をデザインしたことでも知られる猪熊弦一郎の作品。彼が少年時代を丸亀市で過ごした縁で、市政90周年事業として美術館が建設され、開館して18年になります。「市民に質の高い美術を見せたい」との、猪熊弦一郎の思いが込められた美術館だけに、誰もが鑑賞しやすい雰囲気が魅力。コンクリート打ちっぱなしの建物の美しさに魅せられて、ふらりと立ち寄る旅行者の姿も、目に付きます。

カスケードプラザ

カスケードプラザ

滝とオブジェがある庭園。このほか美術図書室や、170席あるミュージアムホールなど、多彩な施設があります

カフェレストMIMOCA

カフェレストMIMOCA

カスケードプラザに面した、カフェレストMIMOCA。「おいしい」と館長おすすめのコーヒーは、ミュージアムショップで販売しているカップに入れて出されます。ランチもあり、旅の途中でちょっと休憩したい場所です 撮影:藤田 一浩

ミュージアムショップ(1階)

ミュージアムショップ(1階)

猪熊弦一郎自身がデザインしたTシャツをはじめ、絵ハガキ、スカーフなど250種類のオリジナルグッズを販売しています。とくに人気はハンカチ、マグカップ。気軽にインテリアに利用できそうなグッズが多数

猪熊 弦一郎

プロフィール

猪熊 弦一郎
1902年~1993年。高松市生まれ。1921年旧制丸亀中学校(現・丸亀高校)を卒業し、東京美術学校(現・東京藝術大学)で藤島武二氏に学ぶ。1938年渡仏、1955年からニューヨーク滞在。1964年国立近代美術館賞を受賞。1975年から冬の間はハワイへアトリエを移し、多数の作品を制作。三越の包装紙「華ひらく」のデザインや、1948年から40年間に渡る小説新潮の表紙絵の制作など、幅広い分野で活躍  撮影:高橋 章

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猪熊弦一郎現代美術館に関しての対談1

左:鳴門教育大学大学院教授
  山木朝彦さん
右:猪熊弦一郎現代美術館館長
  東山正章さん

■出席者

猪熊弦一郎現代美術館館長 東山正章さん(以下館長)
鳴門教育大学大学院教授 山木朝彦さん(以下山木)
<同館学芸員 河内田絵美さん(以下河内田)が同席>

■対談日

2009年7月31日(金)

猪熊弦一郎現代美術館誕生の経緯

山木:
猪熊弦一郎さんに関して、私、原風景といってもよい大事な記憶があるんです。それは、いまも上野駅に設置されている「自由」という作品です。私、東京生まれでして、幼児期の瞼の裏に焼き付けられた風景は、東京駅の丸天井と、上野駅の猪熊さんの作品です。あれは、1951年の作品で、猪熊さんはまだ日本にいらっしゃった。

館長:
資材がなかった頃ですから、ペンキで描いたような感じですが、素晴らしい作品でしょう? 多くの人になじみがある作品だと思います。たしかに、彼は1955年に渡米しました。

山木:
1955年から1975年まで、約20年間、アメリカにいらしたと思うのですけれど。それから、日本にお戻りになったわけですが、この美術館建設までの経緯を教えていただけますか。

館長:
当初は、香川県が猪熊先生の作品を集めて、美術館を作りたかったのです。その当時、金子正則知事が一生懸命、猪熊先生の作品を集めていたんです。ところが、ちょうどこちらの丸亀市市政90周年記念事業(1984年)として何かすることはないだろうかとの話が持ち上がりました。たまたま猪熊先生が、ここの丸亀城北尋常小学校に明治43年に入学。卒業するのは善通寺の小学校なんですが、中学校は、今の香川県立丸亀高等学校(旧香川県立丸亀中学校)に入学しました。
このように、猪熊先生は子どもの時から青春時代までをほとんど丸亀市で過ごされたという経緯がございまして、先生に丸亀市の文化部長がアタックするわけですね。それから、紆余曲折があり、最後は猪熊先生ご自身が「じゃあこちらでやろうか」とおっしゃったのが決め手になりました。これが、いまここへ美術館ができている経緯なんです。記念すべき開館は、1991年のことになります。

現代美術を通して、市民に親しまれる美術館づくりを

山木:
私、徳島に住んでおりますが、企画の魅力に誘われて、頻繁にうかがっております。猪熊さんの作品が時々むしょうに見たくなるのも、この美術館に来る理由のひとつですね。そんなわけで、必ず、猪熊弦一郎さんの常設展を見てから、企画展を見ることにしています。 この企画展について伺いたいのですが、積極的にユニークな展覧会を開催していらっしゃいますね。これはどういう趣旨で行なっているのでしょうか。

館長:
それは、猪熊先生のご指示なんです。この美術館は英語では「MIMOCA」と言います。Marugame Genichiro-Inokuma Museum of Contemporary Artの頭文字をとって、MIMOCA。この名前を考えたのは猪熊先生ご自身ですが、Museum of Contemporary Artという言葉が入っているでしょう。これは、丸亀市民の方に、現代の芸術の先端にいる方のものを見せてあげてほしいという猪熊先生の願いなんです。子どもにも大人にも、ご高齢の方にも、現代の美術や最先端の芸術に、接してほしいという強い先生の願いです。
それともう一つ、猪熊先生がおっしゃったのは、買い物帰りに子ども連れで、お母さんが、買い物籠を下げてここに入って来れるようなフレンドリーな美術館にしてほしいということ。両方の願いがあるわけですね。最先端の企画をして、それを紹介して、市民の方々、とりわけ子どもたちに「現代の芸術とはこうですよ」ということを見せてあげ、幅広い層に美術の愛好者を育ててほしいということなんですね。猪熊先生は、「美術館は心の病院」という素敵な言葉を残されています。

山木:
「心の病院」ですか?

館長:
そうです。美術館は、そういう働きをする場になってほしい、という願いが猪熊先生にはありました。
ところで、私たちの企画については、試行錯誤のプロセスがありました。その裏話を少ししましょう。財政的な問題が起こってきたときに、できるだけ財政負担が少ないような展覧会、例えば巡回展であるとかね。そういったものを積極的に取り入れてやろうとした時期があります。いわゆる他館でやっているのと同じような展覧会を一時したことがあるんです。年配の方が見ても、「あれが美術か、芸術か?」などと戸惑うことがないような。

山木:
なるほど。

館長:
ところが、それをしましたら、それまで入ってくださっていたお客さまが、ばぁっと減っていった。これには考えさせられましたね。
結局、こうした路線では、美術館の個性がなくなってしまうのですね。ここはやはり、苦しくても踏ん張って、猪熊弦一郎美術館でなければできないような個性的な企画をしようということになりました。やはり、この美術館は、猪熊先生の精神を貫く覚悟で現代美術の企画を続けていかなければいけないのです。
丸亀市は合併して今11万人くらいになりましたけれど、ここができた時には、6万~8万人くらいの人口しかなかった。一つの目標として、概ね11万人くらいの、現在の人口と同数のひとに、1年間のあいだに来ていただきたい。そのためには、何よりも美術館に個性がないといけない。そういう個性的な企画を練り、実行できる力量を持った学芸員をそろえないといけない。幸い、当美術館の学芸員は皆、研究意欲をもった優秀な者ばかりです。

山木:
貴館の企画力は、いわゆる世界水準にあると思いますよ。丸亀猪熊弦一郎現代美術館の企画展で、日本で初めて本格的に紹介される海外のアーティストもいるくらいですから。そのことが、学芸員の方々の資質、能力の高さを表していると思います。

館長:
ありがとうございます。

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