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せとうち美術館紀行 第7回 兵庫県立美術館

兵庫県立美術館 西日本最大級の美術館は見どころ満載

兵庫県立美術館に関しての対談3

作品を見て時代背景がわかる、そういうものを購入したい

山木:
蓑館長は「美術作品というのは美術だけでなく、図工やさまざまな教科の知識につながるものなので多角的な観点から見てほしい」ということをいろいろなところでおっしゃっています。そうした社会的な問題をあぶり出すような作品も重要ですね。

館長:
はい。私が館長として来た以上は何年務めるかわかりませんが、自分の哲学にあった作品を購入したい。私がいたからこういうものが入った、そういうものを買いたいですね。それを理解して買っていただいています。

山木:
美術館というのは美術の先生や美術愛好者のためだけにあるわけではありません。いろいろな関心から、例えば学校でいえばいろんな教科の先生方が美術館を利用して楽しむことができるし、学習の場に使うこともできます。保護者の方々もいろんな観点から子どもたちを連れてくることができ、社会的な視野が広がります。

館長:
音楽もそうじゃないですか。聴くとその時代を思い出す。「あのときああいうデートしていた」とかいろんな思いがするのが音楽ですよね。美術を見て歴史がわかる、それが本当の作品だと思うんですよ。その時代に生きた人たち、実際にその事件があったときの心が思い出されるようなもの。それがないのは本当の作品ではないような気がします。 今までの美術史の教育は、有名な作品を見てそれに対して普通の論文を書いていました。しかしこの20、30年ですごく変わりました。1910年ぐらいに制作した作品なら、1910年頃の新聞を見るようになりました。

山木:
つまり今の美術史研究では、時代背景を知ることが前提になっているということでしょうか。

館長:
そうです。あの時大地震があったんだ、大火事があったんだ、すごい殺人事件があったんだということを新聞で見て、この作家はすごく影響を受けたのだと考えます。これが今の美術史のスタイルになってきています。それまでは新聞などを見て美術史の論文を書いたことはありませんでした。

山木:
研究者の方々が時代背景を知ってから論文を書くようになったのですね。

館長:
「なぜこのような絵を描いたのか」という作家の心理状態がすごく大事なのです。

世界的な評価を受けるためには日本的な考えを改めることが必要

山木:
蓑館長は東洋美術の、陶芸関係のスペシャリストであり、研究者であると伺っています。欧米で日本の美術の評価は高いですか。

館長:
それはすごいですよ。ただし、中国美術のほうが数はあり、中国美術を専門にする学生のほうが多いですけれども。
日本美の特質についてですが、中国ですと物を見ると必ず遠近法を使います。日本ではあまり遠近法で描かれません。日本は非常にデザイン的なんですね。現在、日本からすばらしいデザイナーがたくさん出ていますが、そこに理由があると私は思います。
美術品を見て、なぜ日本のデザインが優れているのかを同時に理解する。そういう見方を海外の方々もしています。

山木:
蓑館長はサザビーズでしたか、美術作品の価値や真贋をはかるような場にお勤めになったことがあると伺っています。そういう意味で言うと、最近、日本の現代美術に勢いがあるように見えるのですが、いかがでしょうか。

館長:
値段的に言うと日本の美術はすごく少なく、珍しい作品が出ると高額な値段がつくという感じです。

山木:
それは、近代でも現代の作品でも同じですか。

館長:
そうです。特に現代の村上隆や奈良美智は高額な値段がつきます。それに比例するところまでいきませんが、中国の勢いが今すごいですよ。インドもそうです。
実際に世界に行ってすごく感じるのは、日本の国民性というのでしょうか、日本人はあまり日本人を助けないということ。そのことが、日本が世界の見本になれない大きな理由です。中国人の作家の作品はなぜあんなに高いのか、それは中国人がその値段を上げていくからなのです。日本人は他人の価値を絶対に認めない。新聞もいい記事を書かない。それが大きな問題です。

山木:
日本人自らが同国人の中から、これから伸びそうな作品を見つけ出し、支えて伸ばしていく、その目を養う必要があるということですね。

館長:
私は非常に変わった経歴で、日本を飛び出して日本ではできない学問をしようとしました。日本の学問というのは非常にサブジェクティブで、フィーリングで物事を考える。日本は答えをはっきり言わない。あまり詳しく言うと、「この人はわかっていない」となります。だから言葉の使い方も必ずうやむやで終わります。

山木:
確かにあいまいです。

館長:
東日本大震災の原発事故もそうですが、外国人にとっては非常にわかりにくい。はっきり白黒を言わない。言ってもらいたいのに言わない。
それを言ってしまうと、自分が馬鹿なことを言っているのではないかという怖れを抱いてしまうのですね。
外国へ行って勉強すると、日本的に答えたら学問になりません。「これはなぜ12世紀なのですか」と聞かれたときに、「これは12世紀だから」と答えるような答え方ですから。「君がわからないのは勉強していないからだ」とそこで終わってしまいます。

山木:
論拠を明快にし、言葉で説明しないといけないのですね。

館長:
それができないのです。そういう学問をしていないから。外国へ行くと、オブジェクティブに、サイエンティフィックにものを考える。何とか証明しないといけない。「こうだからこうなる」と証明して初めて答えが理解される。
だから日本語を英語に翻訳する仕事は非常に難しい。翻訳というのは100%理解しないと翻訳できません。書いた人に「これはどういう意味ですか?」と聞くのですが、答えられない。そういう曖昧な文章をずっと書いて、守ることばかりしていて、自分で考えていないからです。

山木:
研究者もそうですし、表現者、創作者、アーティストもそういう面がありますね。非常にわかりづらい。曖昧な言葉や意味、深淵な言葉を使いたがって自分のコンセプトを明快に説明できないことが多いと思います。

館長:
翻訳する側からすると、そこが翻訳できないのです。これが問題です。外国へ行ってはじめてそれがわかります。 オブジェクティブに書き、答えを導き出すためにはいろんな勉強をしなければいけません。その勉強は日本ではできません。だから私は外国で学びました。私なんか嫌われ者だと思いますよ(笑い)。日本ではあまり物事を知りすぎるとだめで、はっきり答えてはいけないわけですから。

作品に対する思いをどんどん作家に語ってほしい

山木:
兵庫県立美術館をひとつの核にして、館長として何かを変えていきたいという今後の方針はありますか。

館長:
今言ったように、本当にすばらしい人やなかなか普段会えない人を連れてきて、対話して、自分の思いを出してもらえるようにしたいですね。その思いを引き出す司会者も大事です。「なぜこういうアイデアが出たのか」ということをみなさんは聞きたいんですよ。だけど日本人は自分のシークレットを教えてしまうような感じがあってやらないのですね。

山木:
なるほど。

館長:
みんな同じ舞台で、同じ知識で勝負してほしい。自分だけの知識で勝負しようとするからこういう問題になるのです。

山木:
子どものうちから飾らないで自分の考えを言えるような度胸がつけば、作家になっても自分の考えを述べられるようになりますね。卵が先か、鶏が先かわからないけれども、そういう表現者を育てるには、美術館や学校を中心にした鑑賞や表現の教育が必要です。

館長:
作家でもインタビューを一切しない人もいます。みなさんがいろいろ考えるのは勝手、自分は自分だけで「なぜこんなふうになったか」と答える必要がないと。

山木:
それはそれで確固たるスタイルがあります。それを貫ければいいですね。
でも蓑館長としては、もっと近づきやすい、アグレッシブルな対応を作家にしてほしいわけですね。

館長:
なんでもしゃべる必要はないですけれども、私がインタビューしたときぐらいは中身をちょっと話してほしいと思います。自分のミステリアスなところを維持したいという動機はわかりますが・・・

山木:
ミステリアスな部分というのはどんなに説明しても残るのが本物のミステリアスだろうと思いますね。

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