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せとうち美術館紀行 第16回 ひろしま美術館

印象派を中心に親しみやすい名画がそろう癒やしの空間

ひろしま美術館に関しての対談2

好きな絵に気軽に会いに行ける

三根:
広島には代表的な美術館として、公立では広島県立美術館、広島市現代美術館、私立ではひろしま美術館があります。ひろしま美術館は市内の中心部に燦然と輝いている印象がありますが、この美術館の魅力はどういうものでしょうか。

展示室

副館長:
魅力は3つあると思います。

1点目は手前味噌ですが、印象派を中心とした収蔵品が非常に充実しています。マネ、モネ、ルノワールなど印象派の巨匠の絵が複数点ございますし、ゴッホもあれば、ピカソも8点所蔵しています。印象派以降のエコール・ド・パリの作品も複数点所蔵しています。

2点目は先ほど先生がおっしゃいましたけれど、癒やしの空間ができていることではないでしょうか。くつろいでいただける、やすらいでいただける、原爆で亡くなった方への鎮魂の意味もある空間が創出できていると思います。

3点目は交通の便が抜群にいいということ。中央公園という立派な公園内にあり、しかもバスセンターやトラム(路面電車)に近く、それでいて非日常感のある場所にあります。

三根:
すぐ隣にバスセンター、県庁、百貨店があり、広島市のど真ん中であるがゆえに喧噪な雰囲気になりがちだと思いますが、そのなかでひろしま美術館に一歩足を踏み入れると、極めて静謐で上質な空間や空気が提供されているのが誰しもわかります。そうした癒やしの空間を目指していることを、来館者の方に伝えることはあるのでしょうか。

副館長:
ホームページやさまざまな企画展などを通して、癒やしの場としてご利用いただきたいということを継続的に申し上げております。

古谷

古谷:
美術館っていろんなタイプがあるんじゃないかなと思うんですね。現代の作家さんの発表の場として運営されているところがあれば、美術をしっかりと精力的に見せるような美術館もあると思います。当館は、いろんな作品があってそれを歴史的に見てくださいというより、印象派というみなさんがよく知っている作品をいつ来ても見ていただけるような空間、しかも便利な場所にあるのに喧噪から抜け出せる、非日常を体験できる空間を提供している美術館という意味合いが強いと思います。もちろんさまざまな特別展を開催し、新しい美術、多彩な美術を紹介する普及や振興も行っています。

しかしやはり基本は、本館にある美術作品とともに雰囲気を楽しんでくださいということを重要視していきたいと考えています。それを声高にアピールしているのかという点については、みなさんの口コミで広がって「あの美術館に行くと癒やされるよ」とか、美術のことを知らなくても「空間的になんかすごくいいんじゃないの」と感じてもらえることを目指しています。単に「この作品を見たい」というのもあると思います。「いつ行っても同じ作品しかない」といわれないように、「あそこに行くとなんかほっとするよね」という空間を目指したいと思っています。

三根:
特別展を時々拝見してもちろん「いいな」と思うのですが、一番いいなと思うのはやはり常設展です。常設展はいつ訪れてもほぼ同じ作品が展示されていて、「この作品を見たかったらひろしま美術館に行けばいい」という気持ちになります。印刷物ではなく、リアルなオリジナル作品を前にして、立ち向かったり、あるいは椅子に座ってくつろぎながら見たり、いろいろな見方ができます。美術作品を見るというより、むしろ美術作品に囲まれながらいい空気を吸うという空間になっている気がしています。

古谷:
明るい作品、わかりやすい作品が多いと思うんですね。それと当館は鑑賞する順路をつくらず、同心円状に展示室を配してどこからでも自由に見ることができます。何度も来ているうちに自分の好きな作品ができ、その作品をすっと見にいけるようになっているのです。

“黒猫”の謎解きで話題になったゴッホ最晩年の《ドービニーの庭》を所蔵

三根:
先ほど「カフェ・ジャルダン」に座ってくつろいでおられる方が多いという話が出ましたが、「ジャルダン」という名前にも何か意味が込められているのでしょうか。

はひろしま美術館のキャラクターの黒猫

古谷:
「ジャルダン」はフランス語で「庭」という意味です。当館のコレクションであるゴッホの《ドービニーの庭》から取っています。この作品にちなんで黒猫のマークを入れています。

三根:
黒猫はひろしま美術館のキャラクターといいますか、ひとつのシンボルのようになっていますね。

古谷:
《ドービニーの庭》という作品には左下に黒猫が描かれていて、そこが塗りつぶされているんです。塗りつぶされて見えませんがその下には猫がいるということで、絵から美術館の中庭に飛び出してきたというしゃれっけでシンボルというよりマスコット的に使わせていただいています。館内のあちこちに黒猫がデザインされているので、「なぜ黒猫?」と疑問を持たれるという話をよく聞きます。質問していただくと説明をするのですが、そうすると記憶に残りやすいですよね。ということで当館からはあえてあまり説明をしないまま、いろんなところに黒猫を配しています。おおっぴらにシンボルとしているわけではないのです。

三根:
《ドービニーの庭》と黒猫の話をもう少し詳しくお聞かせ願えますか。

古谷:
《ドービニーの庭》は1890年、ゴッホが亡くなる2週間前に描かれたといわれている最晩年の作品です。ドービニーという人のお庭を描いたもので、その邸宅の未亡人にプレゼントされました。

ゴッホ作:ドービニーの庭

この作品だけで単行本が出るぐらいゴッホの研究者、愛好者によく知られている絵です。というのもゴッホは、当館にある《ドービニーの庭》とほぼ同じ構図の作品をもう1点描いているんです。もう1点はかつてバーゼル美術館にあったこともあるし、アメリカのキンベル美術館にあったこともあり、現在はスイスの個人の方が所有し、バーゼルの郊外にあるバイエラーという美術館に寄託されています。その作品には庭を横切る黒猫が描かれています。つまり《ドービニーの庭》には黒猫のいる作品と黒猫のいない作品があり、ゴッホ愛好家はそのことを昔から知っているんですね。

昔というのは、1930年代、第2次世界大戦前のことです。当館の《ドービニーの庭》は戦前にドイツのベルリンにあるナショナル・ギャラリーが所蔵していました。ゴッホはフランスで有名になる前にドイツで有名になり、第1次世界大戦後、ナショナル・ギャラリーが国の威信をかけて買った作品なんです。購入の際にどちらかが偽物かもしれないということで、塗りつぶされている作品を徹底的に調査しました。黒猫がもともといたのか、いないのか。もしいたとしたら誰が消したのか。本人が消したなら何のためか。いろんな議論が出ました。それがゴッホ研究者の中で大きな話題になり、謎解きがなされました。戦後もメトロポリタン美術館の学芸の方やゴッホ美術館の学芸の方が研究していろいろなことをおっしゃっていました。ゴッホは最後は自殺しましたが、死にゆく自分を黒猫に例えて描いたんじゃないかという意見までありました。

三根:
ナショナル・ギャラリーが所蔵していた《ドービニーの庭》が、なぜひろしま美術館にくることになったのですか。

古谷:
ドイツの次の政権を握ったのがヒトラーなのですが、ヒトラーはゴッホが大嫌いだったんです。ムンクとかも嫌いで、若者をだめにする退廃美術といって国内にある作品を集めてほとんど焼いてしまいました。しかしその中の何点かは国外に売りに出されたのです。それを購入したのがアムステルダムの銀行家で、その人はユダヤ人だったため、第2次世界大戦でドイツが攻めてきたときに自分の命の危機を感じて、この絵を持ってアメリカに渡りました。そしてメトロポリタン美術館に寄託されたのですが、持ち主が亡くなり、奥さんが生活に困って売りに出しました。その時につてをたどって当館が購入したというわけです。

対談の様子

当館でも10年ぐらい前に一度徹底的に調査しようということで、ゴッホ美術館や日本の専門家の協力を得ながら科学調査をしました。その結果、塗りつぶされている箇所に黒猫が描かれていることがわかりました。しかもゴッホ自身が消したのではなく、ゴッホが亡くなった後に誰かが消したというところまで突き止め、公表しました。長年のミステリーではないですが、ゴッホ研究者の間で1つのピリオドが打たれたわけです。けれど今でもなぜ消したのかという疑問は解決していないので議論があります。そういういきさつで当館のコレクションとして《ドービニーの庭》が広島にやってきていますから、我々もしっかりと研究しなければと思っています。広島に来て40数年になるゴッホの代表作のひとつですから、ひろしま美術館のゴッホ《ドービニーの庭》ではなくて、広島のゴッホ《ドービニーの庭》といわれるように、ことあるごとに話をさせていただき、もっと多くの人に知っていただきたいと考えています。

三根:
ゴッホの代表的な作品であると同時に、ひろしま美術館の代表的な所蔵作品であり、黒猫が象徴的な存在としてマスコットになっているのですね。知っている人や来館した人にはすごく親近感がわく存在ですね。

 

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