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せとうち美術館紀行 第16回 ひろしま美術館

印象派を中心に親しみやすい名画がそろう癒やしの空間

広島市の中心部、緑豊かな中央公園にあり、円形の建物や中庭が美しいひろしま美術館。ミレー、モネ、ルノワール、ゴッホ、ピカソ、ローランサンなど誰もが知っている名画が揃い、喧噪を忘れてアートと自然が奏でる癒やしの世界に浸れます。中心となる所蔵品はほぼ一年中展示され、いつでも気軽に会いに行けるのが魅力です。

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ひろしま美術館に関しての対談1

対談の様子

■出席者

広島大学学術院准教授 三根 和浪さん(以下三根)
ひろしま美術館副館長 角倉 博志さん(以下副館長)
同館学芸部長 古谷 可由さん(以下古谷)

■対談日

2020年9月24日(木)

鎮魂とやすらぎを願い、広島銀行創業100周年事業として開館

対談の様子

三根:
最初にひろしま美術館の設立の経緯について伺いたいと思います。設立は1978年(昭和53年)でしたね。私がちょうど高校生の時で、広島にいましたから、「こんな画期的な美術館ができたんだ」と驚いた記憶があります。

副館長:
1978年に広島銀行の創業100周年のメモリアル事業として開館しました。私が広島銀行に入行した年です。「なんで美術館があるんだろう」と正直思いました。

初代の館長は井藤勳雄で、当時広島銀行の頭取でございました。彼は広島銀行前身の藝備銀行へ入行し、いろいろな支店を回った後、1945年(昭和20年)に現在紙屋町にある本店の建物で預金課長として着任しました。その年の8月6日、広島に原爆が投下され、運良く出勤する時間がちょっとずれ、被爆は免れましたが、自宅は大きな破損を受けました。銀行の状況も気になるものですからすぐに駆けつけ、2日後には日本銀行の一室を借りて陣頭に立って被災者のために営業を再開しました。

非常に辛い経験をしたわけですね。広島の文化が一瞬にして全滅し、大勢の人が亡くなり、苦しんでおられる惨状を目にしたのですから。その経験から、頭取になって銀行経営が軌道に乗ってきたとき、100周年事業として広島に何かを還元したいと思ったのです。彼の原体験は原爆で、美術を通じて広島に文化を提供したいというのが一番の思いでした。ですから「広島に美術を通じてやすらぎをもたらしたい」というのが開館にいたる着想だったんですね。

三根:
当初から広島市の中心、この場所で、移転などしていませんね。

ひろしま美術館 外観

副館長:
はい、開館当時からここです。場所については現在の中国新聞社本社のあたりなどいろいろな案があったようです。というのもこのあたりは原爆でそれまであった建物がなくなり、当時はバラックが立っていて、そこに建設するのはいろいろ難しいのではないかということがあったわけです。ただ元々は広島城の城下だった場所です。戦時中は陸軍の施設などに使われ、広島の一番中枢の場所なんですね。井藤初代館長は一番立地のいい広島の中心に美術館を建てたいと考え、政府や県の関係者の方と調整を行い、協力をいただいて実現にいたりました。

三根:
収集する美術作品については、どのようなお考えがあったのでしょうか。

副館長:
フランスの印象派の絵が日本人や広島の人々の感性に合うんじゃないかと考えたようです。日本の浮世絵は19世紀のヨーロッパの画家たちに影響を与え、印象派誕生のひとつのきっかけとなったとされています。そこでフランス印象派の絵を中心に集め、広島銀行の創業100周年記念事業の最大の目玉として開館しました。

オーギュスト・ルノワール作:麦わら帽子の女

三根:
確かに、ひろしま美術館と言えば、印象派の作品というイメージがあります。そのなかで、最初に注目した作品は何だったのですか。

副館長:
オーギュスト・ルノワールの《麦わら帽子の女》です。小さな作品で、現在は本館の展示室ではなく、本館内ホールの壁面に展示しています。当時ルノワールの絵は広島になく、井藤初代館長はぜひとも欲しいと思ったようです。非常に高価で即決できなかったのですが、画商からさんざんすすめられ、「しばらく置いておいてくれ」と相当悩んだうえに購入した、わが美術館第1号のコレクションなんです。

原爆ドームや厳島神社の回廊をイメージしたこだわりの設計

三根:
設立時のテーマとして「愛とやすらぎのために」というのが掲げてありましたね。それを実現するために、建物や中庭を含めた空間づくりには、どのような工夫がされているのでしょうか。

中庭

副館長:
原爆で亡くなった方のための鎮魂とやすらぎが一番のテーマですね。そのため、本館建物の中央屋根は原爆ドームを模したドーム状になっています。そして、本館のまわりには水路がございます。美術館にとって水は湿気をもたらすためタブーで、本来は池や水路をつくらないものです。しかし、原爆で亡くなった方々が最後に求めたのが水だったということから、鎮魂のために、やすらぎを感じていただける空間としてあえて水路をつくるという選択をしています。
また本館のまわりを囲むように通路があります。これは、宮島の厳島神社の回廊をイメージした設計になっています。

三根:
厳島神社の回廊をイメージした設計を採用するには、どのような期待があったのでしょうか。

副館長:
地元の名所と一体化した構造がいいのではないかということだったと思います。また回廊式だとオープンスペースとなるため、美術館内の庭を直接見ることができたり、巡ることができたりします。そのことで、やすらぎの空間ができ、鑑賞にきて頂いた方々の気持ちが和むのではないかと考えました。

古谷:
それに、神社の回廊には、神聖な空間に行くためにそこを通ることで気持ちを高めていくという効果もあるのです。作品を鑑賞する前に、来て頂いた方々が作品を味わう気持ちを高めて頂ければうれしいですね。

中庭の紅葉

副館長:
中庭には、紅葉の木が3本あります。これは、どれも根本から複数に分かれているんです。1本より複数に分かれている方が茂ったときに美しいのではないかと考えて、当初からそういう木を探したようです。
さらに本館に使用されているのは、トラバーチンというイタリア産の石材です。時がたてばたつほど白くなる材質で、開館当時がどれぐらいの白さだったかは正確に覚えていませんが、今もやはり白いです。

古谷:
トラバーチンは建築材料としては弱く、本来はあまり屋外に使われないものです。少しずつ溶けながら色合いをなじませていくという特徴のある建築材で、提案を受けてのことでしょうけれど、わざわざそれを選んだそうで、最終的にこの決断したのは井藤初代館長です。時間の経過とともに風合いが出てきて、今新しいものを持ってきても色が合わないんですね。だから、壊れた部分があっても直しながら使っています。
屋根には青銅を貼っています。これも、時とともに緑青がふいてなじんでいくことを考えて設計されています。美術の歴史の殿堂であると同時に、原爆から平和な時代に移っていく時間の流れ、平和の蓄積というものを感じてもらいたい場所にしたのだろうと思うんですね。本当によく考えられていると思います。

三根:
なるほど。上質という言葉がぴったりするデザインや材料が使われているのがわかる空間ですね。

古谷:
一つひとつにこだわってつくられたり選ばれたりしています。先ほども言いましたが、紅葉の木1本にしてもいいものを持ってくるだけでなく、根元から複数に分かれている木を持ってきてくれとか、すべて種類が違い、赤く色づく木と黄色に色づく木があるなど色の違いや紅葉の時期も違う。そういうのを楽しめるように考えられていたんだろうと思います。一つひとつがこだわりと吟味でできているものですから、今つくろうと思ってもなかなかできるものではないという気がします。

副館長:
設計は與謝野 久(よさの ひさし)さんで、与謝野鉄幹さん、晶子さんのお孫さんです。日建設計という設計会社なのですが、そちらの担当建築家で当時は若手でした。世の中には安藤忠雄さんをはじめ超ビッグな建築家がいらっしゃったらしいですが、回想録などを読みますと、超大物の方に頼むとその方の個性が前に出てきて美術館としての思いが伝わりにくいのではということがあったようです。そこで、あえて当時若手だった與謝野久さんらと一緒に構想を練り、設計者とのコラボレーションでつくりあげていきました。初代館長の思いがしっかり込められている建物、空間になったと思います。私も毎日巡回していますが、館内にある「カフェ・ジャルダン」で紅葉の時期や春の深緑の時期に座っておられるシニアの方や若い子ども連れの方、あるいは女性の方々を見ると本当にリラックスされているのではないかと思います。まだまだ進化していく感じがしますね。

マロニエの木

三根:
設立の経緯をお聞きする中で、「愛」「やすらぎ」というキーワードが出てきて、それが建物にもいろんな形で反映されているというのがわかりました。

やすらぎと言えば、美術館正面にマロニエの木がありますね。それについてもお話しください。

副館長:
パブロ・ピカソのご子息クロード・ピカソさんがパリから持ってきて植樹をしてくださいました。

古谷:
当館にはピカソの作品がたくさんあり、そういうこともあって開館にあわせてわざわざ来てくださったんです。今もご存命です。

展示室

副館長:
初代館長がクロード夫妻とフランスで会食するなどお付き合いがあったらしいです。展示室にピカソの最初の子どもであるポールを描いた作品がありますが、これは、この絵を所蔵させてもらえないかという、たっての願いで当館に来た絵なんですよ。

古谷:
フランスということでマロニエの木なのですが、ゴールデンウィークの頃にピンク色の花が咲きます。するとやはり、ピカソがより身近に感じられますね。

 

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