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せとうち美術館紀行 第12回 呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)

戦艦大和を建造した呉の歴史に日本の近代化と未来を見る

呉は巨大戦艦「大和」を建造した海軍工廠のまちであり、戦後は戦前から培われた技術を生かし、造船や製鋼のまちとして発展しました。そうした歴史を未来へ伝えているのが呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)です。10分の1スケールの戦艦「大和」をはじめ、戦艦「大和」の建造計画や設計図、当時の呉のまちや暮らしの様子がわかる写真や映像、零式艦上戦闘機六二型や人間魚雷「回天」などの実物資料が展示され、それらを通して日本の近代化の歴史と未来を見つめることができます。

施設外観

施設外観

10分の1スケールの戦艦「大和」

10分の1スケールの戦艦「大和」の全長は26.3m。戦艦「大和」には当時からエレベーターも冷暖房も完備されていた

零戦

実物資料が最も歴史を語る。零戦もその1つ

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呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)に関しての対談1

■出席者

文教大学 国際学部 国際観光学科 専任講師 井上由佳さん(以下井上)
大和ミュージアム館長 戸髙一成さん(以下館長)

対談イメージ

■対談日

2016年3月10日(木)

海軍と海軍工廠で発展した呉の歴史を伝えるためにオープン

井上イメージ

井上:
大和ミュージアムと呼んでいますが、これは愛称で、正式には呉市海事歴史科学館というのですね。

館長:
そうです。こういう施設は瞬時に内容がある程度わかる愛称が必要だということで、オープン前に公募しました。日本中から応募があり、みなさんよくご存じで、呉だから大和館とか、大和の博物館とかが多かったですね。そこで大和ミュージアムにしました。
もちろん正式な文書では呉市海事歴史科学館を使用しています。

井上:
大和ミュージアムをつくろうという話が持ち上がったのは何年ぐらいですか。

館長:
開館は平成17年ですが、完成までに20年ぐらいかかっています。始まりは地域の歴史をきちんと残したいということでした。

ドッグ イメージ

呉は明治以降にできた町で、江戸時代や幕末、明治の初期は何もないところでした。だから明治政府と海軍がここに巨大施設を持ってくることができたわけで、呉の歴史はほとんどが海軍と海軍工廠の歴史です。海軍工廠ですから造船といってもつくっていたのは軍艦ばかり。これを世の中にきちんとした価値で認知してもらうための展示・説明を基本的なコンセプトとしたのですが、そのあり方がなかなか難しく、特にここ広島は戦争に対するひとつのシンボルのような町ですので、例えば兵器をつくっていた歴史を卑下することもなく、かといって誇ることもなく世の中の人にどのようにきちんと理解してもらえる形にしていくか。そういう意味で市の議会においても長期にわたって議論が繰り返され、実際にゴーサインが出るまで十数年かかりました。ゴーサインが出て準備室を置いてからも5、6年かかりました。

井上:
そうでしたか。webサイトを拝見していますと、ミュージアムの目的やポリシーをはっきり決められています。それはこういうものを置かねばならないという考え方があってのことだったのですか。

館長:
最初に言ったように、地域の歴史をきちんと残したい、地域の若い人にちゃんと知ってもらいたいというのがスタートです。地域の歴史をよくよく考えてみると、反省すべきところと誇るべきところがあるなかなか難しい歴史です。その両方を受け継いでもらいたいのです。

井上:
なるほど。私が展示を拝見して一番印象に残ったのは、戦艦大和についてはもちろんですが、このミュージアムは産業史を扱っているということです。

館長イメージ

館長:
そうです。当館が扱っているのは技術史、産業史です。技術産業は19世紀、20世紀にかけて深く戦争とかかわっています。そこを省いて展示したら歴史の半分しか教えていないことになります。やはり良いことも悪いことも見てもらわないといけません。

そういう意味で戦艦大和は非常にシンボル的な船なんですね。明治維新から50年ぐらいで世界一の戦艦をゼロからつくることができたというすごさ。しかし、その努力の結果が生んだものは悲劇だった。そういう歴史的な事実を両面から見て判断してもらえるようにしなければならないと考えました。

戦艦大和は良かった、すごかったというだけでは半分だけですし、悪かった、いけないものだったというだけでも実態とは違います。物事を判断するには良い面と悪い面の両方を知らなければ情報としては不完全です。立体的に理解するには二面、三面、四面といろんな角度から見ないとわからないんですね。当館としては、大変な努力の結果として大変素晴らしい戦艦をつくったということ、その結果が戦争でどういう結果を生んだのかと言うところを半々で見ていただけます。

また、情報は提供するけれど判断はお客様のものというのが基本的な考えです。ただし提供する情報が間違っていたら間違った結果しか出てこないので、与える情報が正しいかどうかということには注意しなければいけないと思っています。

井上:
地域史や大和の乗組員の一人ひとりの歴史というものにかなり触れていらっしゃいます。資料を集めるために地元の方々が親身に協力してくださったのですか。

館長:
そうです。最近はみなさん亡くなりましたけれど、スタート当時は戦艦大和などをつくっていた時代に工員さんだった方がいらっしゃいました。私自身も最初に勤めた資料館が海軍の歴史資料だけを扱っていて、上司も会長もかつて連合艦隊参謀でした。私の直属上司は連合艦隊司令長官山本五十六大将の参謀をやっていたような人だったんですよ。そういうこともありますし、他にも戦艦大和の設計主任であった人や基本計画をつくった人、艦長を務めた人もよく知っていていろいろなつながりがありました。

「戦艦大和の艦長は戦死したのではないですか」と言われますが、艦長は4人いて、2代目の艦長は90いくつまでお元気で、よく話を聞きに行きました。私がここに呼ばれる前には乗組員まで含めるとそれこそ100人近い関係者に話を聞いていましたね。そういうこともあり、大和ミュージアムをつくるにあたって平成5,6年ぐらいから資料の相談のために呉を訪れ、「おもしろいものをつくってくださいね」とお手伝いしていました。

私自身は当時、厚生省(現厚生労働省)から「戦時下の国民生活の博物館をつくりたい」と言われ、それにかかっていました。その博物館は、東京都千代田区九段南にある昭和館ですが、平成11年にオープンし、ホッとしてのんびりしていたら、呉市から「落ち着いたらうちをつくってください」と呼ばれたんです。それで平成16年に呉市に来て、17年にオープンしました。ですから私の仕事は大和ミュージアムをつくる下準備をずっとやっていたような運命的なものを感じますね。

井上:
そうした関係者の方々は大和ミュージアムができたときにどんな感想を持たれたのですか。

館長:
オープンしたときは戦艦大和の艦長や設計者、つくった責任者などだいたいの人は亡くなっていました。完成を見たのはわりと若い人ばかりですね。それでもみなさん喜んでいましたよ。大和の沖縄特攻に行って助かった人などたくさんの人が来館されて、「いいものをつくっていただいてありがとうございます」とずいぶん言われました。私が勉強していた頃は、飛行機に乗って真珠湾で爆弾を落としてきたという人が何十人もいましたから。

そういう人がいなくなってしまった後に、戦争をどうやって伝えていくかというのが一番難しいところですね。体験者の言葉として伝えられなくなり、私たちが聞いた話を知ったかぶりして受け売りしてもそれは重さが違います。そういうところも考えなければいけないのが当館の仕事です。

 

戦艦大和への興味を入口に、戦艦建造で築き上げてきた技術史と背景を学ぶ

大和イメージ

井上:
ホールに入ってすぐのところにある戦艦大和の10分の1スケールの模型はすごいですね。気迫を感じます。

艦長:
あれもつくっている最初の頃は「戦艦大和をかっこいいという展示でいいんですか」とよく言われました。
私は「いいんです」と。「かっこいいな」と思うことでまず興味を持ってもらえます。そうすると「これはどうやってつくったのだろうか」「どんな船だったのだろうか」「なぜこんなものをつくらないといけなかったのだろうか」といろんなテーマに興味がいきます。

そうして素晴らしい技術成果品も、結局は戦争で悲劇を生むものであったということまでたどり着くことができます。こういうものはいけない、こういうものは勉強しちゃいけない、興味を持つのもいけないとシャットアウトしたら、深いところまで理解するチャンスを止められるんですね。


ですから入口は興味で入ってもいいのです。ただその向こう側はたくさんあると。そういう展示全体の流れをつくりました。戦艦大和の10分の1の模型をみて、「80年も前によくつくったな」「アメリカもイギリスもつくらなかったようなものをなぜ日本でつくらなければいけなかったのか。意味なかったのではないか」と疑問を持った人が歴史コーナーをじっくり見るとだんだん疑問が解消されます、そういう展示計画にしました。

井上:
戦争の写真などを最初に見てしまうと、怖くて展示を見ることができなくなってしまう人も多いと思いますが、最初に戦艦大和の模型に興味を持つことですんなり入れますね。

館長:
そうなんです。「よくこんなものを作ったな」と思って展示室に入ると、幕末から戦艦をつくっていくまでの歴史が見える、そういう意味では見やすい展示になっていると思います。

展示イメージ

井上:
館長としていちばん見てほしいのはどういうところですか。

館長:
歴史コーナーですね。ワシントン海軍軍縮条約調印(1922年)から戦艦をつくらない時代が約20年あります。軍艦に関する博物館で軍艦をつくっていない時期の展示ですから地味ですが、その時期が技術教育に力を入れた時期で、船の建造技術が一番進歩したのはまさにその時代なんです。それがすごく面白いと思います。

また当館は、平成27(2015)年9月21日にアメリカ合衆国ハワイ州ホノルル市の戦艦ミズーリ記念館と姉妹館提携協定を結びました。現在、終戦70年記念特別企画展として「日米最後の戦艦展」を開催(2016年5月8日まで)していますが、3月中旬に展示を更新したのでぜひそれを見ていただきたいですね。すごく大きい戦艦ミズーリの模型の一部が展示されています。また借りてきた資料が他にもたくさんあります。日本の軍人として亡くなったアメリカ国籍を持つ日系二世の海軍士官のノートや手紙、戦艦ミズーリの艦上に特攻で体当たりした零戦の破片が保存されていたので展示しています。それらは非常に貴重で、アメリカ以外で今まで一度も公開されたことのないようなものですからぜひ見に来ていただきたいですね。

ミズーリ展 展示イメージ

井上:
戦艦大和は日本で最後の戦艦ですが、戦艦ミズーリもアメリカにとって最後の戦艦なのですね。そうした企画展のテーマは館長が決められるのですか。

館長:
テーマはみんなで会議をしながら決めていきます。企画展ではいろいろなテーマを取り上げますが、来館者数を統計すると、大和ミュージアムに要求されているのは大和とその関連の展示だということがわかります。

 

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