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せとうち美術館紀行 第14回 横尾忠則現代美術館

あふれるエネルギーに圧倒される、横尾忠則芸術の殿堂

横尾忠則現代美術館に関しての対談2

アーカイブ資料は、横尾芸術だけでなく戦後文化を知るうえで貴重

対談の様子

山本:
横尾さんは作品の数がすごく多いです。わかりやすいたとえでご説明すると、この美術館がスタートするときに東京の倉庫から絵や資料などを運ばなければいけなかったんですけれど、10トントラックを6台走らせても積みきらなかったんです。もう一度取りに行きました。それだけでなくポスターは別に保管していて、それもものすごい数で、一人の人間が創造した量としては常軌を逸していますね。

山木:
そうですか(笑)。

館長:
ポスターは巻いてあるんですよ。

山本:
ポスターは保存用と展示用と2枚ずつをいただけるというので見に行くと、大人が一人で持ち上げられないような重さのロールがアトリエの地下にびっしり林立してるんです。「どうぞそこから2枚ずつ抜いていってくれ」と。それと同じような倉庫が都内にまた別にあるんです。その場ではとても作業できませんからいったん神戸に全部運んで、広い場所を用意して抜き取り作業を1週間ほどかけてやり、残りを返却しました。

抜き取り作業のために作品を1週間至近距離で見続けると体調が悪くなります(笑)。ビジュアル酔いというんでしょうか、ものすごいエネルギーだなと思いました。

山木:
そうすると横尾忠則現代美術館は公開して展示している以外にも、作品やさまざまな資料をたくさん収蔵なさっている。横尾さんとしても自分のいろんなアーカイブをこちらに託したという感じなんですか。

館長:
そうです。すごい量で、横尾さんも忘れているものが多いですね。

山本:
横尾さんは記憶力はかなりすごいんですけど、どこに何があるかがわからない。ただし見れば思い出す、忘れている作品はほぼないと言えますね。

館長:
新聞記事や雑誌などはなかなかためておけないんですけれど、横尾さんは何でも取っていて、レストランにしてもメニューを持って帰ってきています。マニアックというか、それを作品にしていかれますね。

アーカイブルーム

山本:
館内にアーカイブルームというガラス張りの部屋があるのですが、資料はそこだけでは収まりきらない量があります。横尾さんがグラフィックデザイナーだった時代からの資料を見るといろんな方と交流をされていて、企業のポスターももちろんつくられますけれど、圧倒的にクリエイターとのコラボレーションが多いです。

演劇、文学、音楽、映画とか、三島由紀夫さんであったり、天井桟敷であったり、状況劇場であったり、日本の戦後文化を創ってきたような人たちと一緒に仕事をしてこられていますので、横尾さんの資料を勉強するということは単に横尾忠則を知るというだけじゃなくて、日本の戦後文化を知るうえで宝庫のようなアーカイブかなと思っています。

山木:
その表現は素晴らしいですね。そのアーカイブは一般には公開していないのですか。

山本:
予約制で公開しています。ガラス張りになっているので、学芸員が作品や資料を整理している様子は予約なしで見ることができます。小さい美術館ですし、限られた人数でいろいろな仕事をしていますので、ちょっとずつ整理しています。あまりにも膨大なので、半永久的に終わらないと思うんですけれどね(笑)。

山木:
学芸員さんのお仕事もわかるし、教育的な観点からいうとすごくありがたいことですね。

山本:
実際に見たいと来られる方は専門家の方がやっぱり多いです。アーカイブルームの中に入って資料を見ていただくことも可能です。

対談の様子

山木:
10年ぐらい前に巡回展で世田谷美術館で「冒険王・横尾忠則」というのをやっていました。そのときの展示担当の塚田美紀学芸員と私が共同研究をしていた時期があり、彼女から聞いたらまだご自宅にかなりファイルが残っているという話でした。今もそうなんですか。

山本:
冒険王をやったときはまだこの美術館ができる前だったので、たぶん10トントラック6台分の話をされているかなと思います。確かにかなりのものをこちらに運びましたが、横尾さんは現役で絵を描いておられるので、そのためには当然資料がいります。横尾さんの家の中にはおそらく昔ロンドンで買ってきたファッションや、いろいろ貴重なものがまだまだある感じですね。

山木:
お宝がまだまだご自宅にあるのですね。

館長:
アトリエに相当あります。それを制作の材料にされていますから、なくてはならないものなんですね。特に本と画集を見ればアイデアが出てくることもありますし、急に描きたくなるんじゃないでしょうか。

山本:
横尾さんにとって大事なアーティストの画集はいっぱい持っておられて、それを勉強していろいろ養分を吸い取っているというのはあると思います。アトリエにある画集を研究すれば、さらに横尾さんの絵の秘密がわかるのでしょうね。

山木:
横尾忠則さんは長い歩みの中で、貴重な、本当に世界的なアーティストと直に会って友だちになっておられます。それ自体が創作の源泉ですよね。

館長:
たとえば高倉健とか、三島由紀夫とか、普通以上のお付き合いをしていたと思うんです。そういう点で普通の方とはちょっと違うと思います。

山木:
アンディー・ウォーホルのファクトリーにも何回か行っておられますよね。実際に話もされています。

山本:
2回行っておられますね。

山木:
ジョン・レノンとも交流があったし、オノ・ヨーコとは今もあるのでしょうね。日本の戦後現代美術史としてもハイレッド・センターとか具体とかいろいろな交流があって、横尾さんの歩みを見ていると戦後の日本の美術史がわかる、それぐらい大物なんですね。だからアーカイブをガラス張りで見せてもらえるというのはそういう背景を含めて、横尾さんを通じて美術運動の全貌を見る目が養えるんじゃないかなと思います。

対談の様子

館長:
絵の中に横尾さんのアイデアが詰め込まれていて、それを我々が見つけるときの喜びもあります。そこを理解されないと横尾さんに怒られますしね。いろんな本を読む人だし、文章もすごく上手い。普通の作家さんにないものを持っている人です。

山木:
本当に飾らない人で、さっきの公開制作もそうですけれど、横尾さんの本を読んでいると全部明らかにしてしまっているんですよね。ここまで赤裸々に自分のことを語るかなと思うくらいです。同時に客観的に見て、自分なりの美術史というのを提示していらっしゃるところが凄いなというふうに拝見しました。『横尾流現代美術―私の謎を解き明かす』(平凡社新書)という本にかなりご自分のことを整理されて書かれています。

山本:
文章もすごくて、泉鏡花賞といった文学賞も受賞されています。

館長:
講談社エッセイ賞ももらっておられますね。

 

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