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せとうち美術館紀行 第15回 備前長船刀剣博物館

刀剣を通して日本の伝統美術工芸品の美と技を広める

解説編

安藤:
昔からいわれていますが、中国山地では日本刀を作るのに適した砂鉄が取れ、たたら(※1)が盛んでした。できた真金(※2)は高瀬舟に乗せて吉井川(※3)で運ばれました。また、たたらの燃料として赤松の炭が必要ですが、昔は赤松林が多く、燃料が豊富にありました。さらに『一遍上人絵伝』に描かれている「福岡の市」という大きな市があり、刀が売りやすく、街道が通っていて情報が伝わりやすい条件が整っていました。実際にどうかはわかりませんが、それらによって備前が刀の産地として盛んになったといわれています。

※1 たたら…古代から発展した製鉄方法。粘土製の炉の中で木炭を燃やし、その中に砂 鉄を投入して鉄を取り出す。炉に空気を送り込むのに使われるふいごをたたらと呼んでいたことから炉や建物もたたらと呼んだ。
※2 真金(まかね)…良質の鉄をさす
※3 吉井川…岡山県三大河川のひとつ

山木:
たたらは弥生時代から行われていますが、この地でも遺跡が出ているのでしょうか。

安藤:
小さい規模のものはいたるところにありますが、基本的には県北あたりからたくさん出ています。毛利元就がなぜ大きくなったかというと、たたらの技術を外にあまり隠さず、自分のところで作って、できた物を売っていったからだという話があります。

対談の様子

山木:
素朴な質問をしてしまいますけれど、製鉄の技法や技術はたたら製鉄以降もいろいろ工夫されていると思います。その中でどうして刀づくりにおいては、たたらという原初的な方法にこだわっているのでしょう。

安藤:
日本刀は伝統技術を重んじています。現代の製鉄方法で作る鉄は伝統技術で作られた材料じゃないですよね。鎌倉時代や江戸時代もそうですけど、当時はたたらしか製鉄方法がありません。伝統技術を重んじるという意味で、また文化庁から古来の方法を重視するようにということで、たたらでできた鋼でないとだめということがあるのです。

館長:
昔聞いた話ですが、溶鉱炉では温度が高すぎて不純物が溶けてしまう。ところがたたらは温度が低いから、上げていくと不純物から順番に出ていき、残ったのが純粋な鉄成分になる。玉鋼(たまはがね)という日本刀の材料になる良質な鋼を作るにはたたらが一番だと。本当のところはどうですか。

安藤:
そこは難しいところですね。

山木:
ちなみにたたらの炉の内側の温度ってどのぐらいまで上がるのですか。

安藤:
1500℃ぐらいです。砂鉄は1400℃から1500℃ぐらいの間で溶け出し、燃え上がる炭の間を落下する間に炭素と結びついて還元と呼ばれる化学変化を起こして鋼になります。たたらは、古代たたら、中世たたら、近世たたらと大きく3つに分けられます。古代たたらは本当に小さい規模で、30~40cm×150cmぐらいの富士山のような形です。中世たたらは2m×1mぐらいの箱のような形で、近世たたらになるとその倍ぐらいの大きさになります。なぜサイズが変わってきたかというと、送風装置の風を送るふいごの技術が上がったということじゃないでしょうか。ただし大量生産していけばいくほど日本刀の質が落ちているんです。それがどうしてなのかはまだ結びはつかないのですけれど。

山木:
そうなんですね。杉原さんは製鉄との関わりについて、別の角度からお話がありますか。

対談の様子

杉原:
なぜ岡山県でたたらが作られたのかということについて、もうひとつの説として寺社勢力が関係しているのではないかと考えられています。奈良だったら興福寺や東大寺、京都だったら比叡山延暦寺、鎌倉は建仁寺とか鎌倉五山があります。じゃあ備前は何なのかというと熊山信仰があり、熊山を中心とした寺社勢力があります。そして「まかね吹く」という枕詞があり、まかね吹く=吉備の国といわれるように、もともと鉄がたくさん取れる鉄の産地でした。実は岡山県の総社市には血で赤く染まったといわれている血吸川(ちすいがわ)があるのですが、その上流にあるのが製鉄施設なんですね。血で染まる=おそらく砂鉄だと思うんです。吉備地方、いわゆる総社市のあたりは製鉄遺跡がいっぱいありますのでそれの関係もあったのかもしれません。ただ備前国だけで見ると、製鉄遺跡はほとんどありません。先ほど安藤さんが言われたように、美作など県北のほうにはたくさんあります。備前は、本当は鉄が取れません。備中と美作は鉄を税金として払っていましたが、備前は鉄が取れないからいいよと(史料に)書かれています。

山木:
安藤さんは赤松のこともおっしゃっていましたね。

安藤:
赤松(の炭)は燃料として使います。昔は栗とかも使っていました。燃えるものは何でも使っていたと思います。

山木:
でも良質の松にこしたことはない?

対談の様子

安藤:
いろんなものを使っていて、徐々にこれがいい、これが悪いといって、最終的に赤松になったのだと思います。

杉原:
赤松が燃料として非常に優れているのは刀だけではありません。瀬戸内市と備前市は刀の一大生産地でしたが、もうひとつの産業として備前焼がありました。焼き物は6世紀頃から瀬戸内市を中心とした地、寒風というところでまわって油杉を超えて伊部というところにいきます。そこまでいくと13世紀になるので備前焼が確立されます。その頃に燃料として生木の赤松を使ったのです。同時期にこのあたりでも刀が作られてきますので、同じ燃料があったので使っていたのではないでしょうか。

山木:
赤松は火力が強いのですか。

杉原:
油分がたくさんありますから。

山木:
それがメリットになるんですね。

安藤:
そこなのですが、炭で約1300℃まで温度を上げると思っているかもしれませんがそうではありません。ある程度まで温度が上がるとマグネシウムの作用が起き、相乗効果で鉄自身が徐々に温度が上がっていきます。松の炭を燃やすだけだと約1300℃までいきません。鋼が入っていることで全体の温度が上がっていくのです。

 

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