開山公園の桜(お花見事前情報)
3月も半ばになり、伯方島の開山公園の桜の様子を見に行きました。
開山公園は、伯方島の北西部の開山(標高149m)に位置し、春先には約1000本の桜が咲き乱れ、頂上の展望台からは伯方・大島大橋、大三島橋、多々羅大橋が一望できます。お花見の時期には夜桜用の提灯やおでん屋さんがでるそうです。桜の他にもつつじがあり、桜が散ったあとも四季折々の姿が楽しめます。
開山公園までの行程は、伯方島ICを出て、最初の交差点を右折し、青色の路側線に沿って道なりにしばらく行くと、写真の交差点が見えて来ますので右折(北浦方面)します。
さらに、青色の路側線に沿って行くと、写真の案内看板が見えてきます。
ここから開山公園への山道を約1㎞ほど登って行くことになります。サイクリストの方にとっては、アップダウンのある曲がりくねった山道ですので相当きついのではないでしょうか。しかし、登りきったあとに待っている絶景を見れば、疲れも忘れ去ることまちがいなしです。
公園に到着すると、駐車場の案内と展望台の案内看板が見えてきます。
駐車場からすでに桜の木に囲まれています。
さらに奥にも駐車場が整備されています。
最初の休憩所の東屋です。
休憩所からは、桜と多々羅大橋や大三島橋のツーショット写真が撮れそうです。
展望台のてっぺんは、木製のおしゃれなベンチが置いてあります。
展望台からぐるりと見回すと多々羅大橋、大三島橋、伯方大島大橋さらには、上島の生名橋の絶景が望めます。
詳細情報は以下のサイトを参照ください。
http://www.go-shimanami.jp/spot/?a=206
桜の開化情報は以下のサイトが参考になります。
見頃は4月上旬です。
https://tenki.jp/sakura/8/41/50323.html
また当ブログで開山公園を含め5ヶ所のしまなみ海道沿線の桜開花状況を掲載していますので、そちらも参考にしてください。
http://www.jb-honshi.co.jp/shimanami/blog/?p=2659
サンライズ糸山の河津桜を見に行ってみました
毎年楽しみにしていたサンライズ糸山の河津桜を見に行ってみました。
噂では聞いていたのですが、昨年まで河津桜の木があったところは造成工事で整地されていました。
工事の看板には、「高地延喜線道路改良工事及び糸山サイクリングターミナル造成工事」と書いてあり、河津桜は一時的に移設されたとのことでした。
工事終了まで今治市内にある大谷墓園に仮移動され、一部はサンライズ糸山の臨時駐車場のある海岸沿いに植えられているようで、上の方からなんとなく見えました。
桜の開花の様子を見るため、下におりてみることにしました。海岸沿いにおりてみると、河津桜を間近で見ることが出来ます。
昨年は少し早すぎましたが(昨年2月の状況http://www.jb-honshi.co.jp/shimanami/blog/?p=2037)、今年は少し遅かったようです…
もうすでに散り始めていて、残念なことに満開の桜を見ることが出来ませんでした。
木々がなくなってしまったので見通しがよくなり来島海峡大橋のこれまでと違ったビューポイントになっています。
最終的な形状がどうなるのかわかりませんが、この視点場から来島海峡大橋がこのように見えるのはしばらくの間だけでしょう。
河津桜がまた戻ってくるのを待ちつつ、この景色を楽しむことにしました。
村上海賊の娘を読みました
和田竜さんの「村上海賊の娘」を読みました。和田竜さんは、映画化された「のぼうの城」で脚光をあびた人気作家で、「村上海賊の娘」は、2014年の本屋大賞を受賞した作品です。
この小説は、現在の大阪城がある場所に石山本願寺があった時代に、織田信長が退去を求め、それを拒否する本願寺側との戦(木津川口の戦い)で、本願寺側として戦った村上水軍の娘の活躍と生きざまを描いたものです。
「村上海賊の娘」の主な舞台は、瀬戸内海のうち芸予諸島と大阪湾及びその周辺で、本州四国連絡橋の架橋地点も多々登場します。
小説の文を引用しつつ、現在の写真を見てみましょう。
毛利家の武将(児玉就英、乃美宗勝)が、能島村上に援助を乞うために、忠海から能島に向かう場面です。
就英が能島に赴くのはこれが初めてである。不機嫌な顔で、じろりと大頭を一瞥すると、「ふん」と鼻を鳴らして再び前方を睨むように見た。なるほど、ひと度、船に乗って海上から島々を見ると、その景色は一変する。ひとつの島が有する山々は襞をなして折り重なり、島々もまた幾十にも重なっているため、水路と思って山と山の間に入れば入江、入江かと思えば水路と複雑極まりない。・・・・「村上海賊の娘 第1章より引用」
芸予諸島の島々は、広島県備後地方から愛媛県今治にかけて瀬戸内海を遮断するように島が連なっているため、現在では地図でその位置関係は良くわかりますが、当時、航行するには大変だったと伺われます。このような状況から「しまなみ」という表現はぴったりだと思います。
就英は能島への海路を教わるため、宗勝の関船に同乗している。自身の関船も引き連れていたが、それに注意を促せと宗勝は言うのだ。「なぜじゃ」と問うと、宗勝は、短い腕を伸ばして船首の方を指差した。振り返った就英は、その光景に目を見張らざるを得ない。「あれは-」と息を呑んだ。水路の両岸に切り立った崖が迫っていた。その狭さは、この関船が通るのかと錯覚してしまうほどである。「鼻栗瀬戸にござるわ」宗勝はこの海の難所の名を口にした。・・・・「村上海賊の娘 第1章より引用」
鼻栗瀬戸には、現在「大三島橋」が架けられています。私たちも来島海峡大橋ができて「瀬戸内しまなみ海道」が全通するまでは、ここを社有の船(当時は、公団船と言いましたが)で尾道と今治を行き来したものでした。
次に、鼻栗瀨戸を抜け、宮窪瀨戸から能島に近づく場面です。
「見近島の右手奥に見える島、あれが能島にござる」「あの小島がか」就英は、唖然とした。見近島よりさらに小さな島である。(中略)宮窪瀬戸を南東に向かえば、伯方島と伊予大島がさらに接近し、海域は押しつぶされるようにして急に狭くなる。その狭まった海峡を堰き止めるように鵜島という、能島より遥かに大きな島が横たわっている。能島は、この鵜島と伊予大島の間の極端に細い水道に腰を据えていた。とりわけ鵜島と能島は100メートルと離れておらず、その水路は荒神瀬戸と呼ばれる難所中の難所であった。戦時となれば、またとない天然の水堀となることだろう。「あの瀬戸、どれほどの潮の早さなのだ」先ほど鼻栗瀬戸で散々な目にあった就英である。思わず身震いした。・・・・「村上海賊の娘 第1章より引用」
伯方島と大島の間には、現在、桁橋の「伯方橋」と吊橋の「大島大橋」が架けられています。現在は、総称して「伯方大島大橋」と呼ばれることもありますが、構造的には別の橋です。上に出てくる見近島に「伯方橋」の橋台を兼ねた「大島大橋」のアンカレイジが築かれています。現在、見近島には、「しまなみ海道」の自歩道を通れば、徒歩、自転車、原付等で降りることができ、キャンプ場もあります。
荒神瀬戸の潮流は、観光潮流船が村上水軍博物館前から出ており、船折瀬戸や、宮窪瀬戸と合わせて体験することができます。
他にも、明石海峡など、瀬戸内海の景色の様々な描写が出てくる小説でした。現在の景色しか知らない若者たちにも是非読んでいただき、橋のなかった時の景色を想像してもらいたいと思いました。おもしろい小説なので、是非読んで、その雰囲気を味わうために、しまなみ海道へも足を運んでください。
また、来島海峡サービスエリアでは、3月1日より「村上海賊の娘」の単行本をデザインとした新しいお菓子(どら焼き)を販売しています。お菓子の製造は、薄墨ようかんで有名な松山の老舗中野本舗さんにお願いしており、瀬戸内のレモンを使用したこだわりの「瀬戸内レモン餡」タイプもあります。販売場所が限られた商品ですので、サービスエリアにお立ち寄りの際は、お買い求めください。
今治の先っぽに行ってきました
今治市を地図上で見ると、来島海峡の北側で尖っているところがあります。四国の地図を南北さかさまにすると、ちょうど室戸岬に当たる部分になります。
地図上の名称は大角鼻(おおすみのはな)となっています。
住所は今治市波方町波方地先となります。ここは、東側に燧(ひうち)灘、西側に斉(いつき)灘に面しています。
大角鼻付近は、今治市の無料キャンプ場「大角海浜公園」として整備されており、展望台からその様子が一目瞭然です。展望台から階段を降りれば水際まで近づくことができます。
また、東の方角には来島海峡大橋を一望することもできました。
水際にはベンチも整備されています。付近に設置されている案内看板には、その昔、伊予水軍の番所があったと記されていました。
付近には、自然の暗礁の他、人工の構造物が目を引きました。案内看板より、戦前に建造された「メートル立標」という軍事施設だとわかりました。
これからの季節、サイクリングのかたわらこちらまで遠出してみてはいかがでしょうか。
自転車なら、サンライズ糸山から約6㎞、30分ぐらいのところです。右手に海と造船所を見ながら手頃なサイクリングとなります。また、車でも今治北ICから15分ぐらいで行けます。
ルートマップ
玉川総合公園の万葉の森に行きました
玉川近代美術館の近くに、玉川総合公園があります。公園内には、立派な体育館の他、テニスコートや球技広場等のスポーツ施設が設けられています。また、ここには玉川の自然の豊かさを生かした種類の豊富な「万葉の森」があります。
そこは、日本最古の和歌集「万葉集」に詠まれた植物を集めた植物園となっていました。園内に植えられた草木のほとりには、その「万葉名」、「和名」とともに和歌が書かれた標札が立てられていました。
体育館とゲートボール場の間に、その入口があります。
入口からすぐに、「万葉の池」の石碑があります。ここには、万葉名「あやめぐさ」和名「ショウブ」が植えられ、「ほととぎす 待てど 来鳴かず 菖蒲草 玉に貫(ぬ)く日を いまだ遠みか」詠み人 大伴家持(おおとものやかもち)の標札が立てられています。
撮影した日はまだ寒波の影響で気温も一桁でしたが、梅の花がほころびはじめていました。
詳しくは、公園事務所に置いてあるガイドブック(無料配布)及び下記URLが参考になります。
これによると、86種の木本植物と、47種の草本植物・シダ類が植えられていることがわかりました。
http://www.tamagawa-net.jp/manyounomori/1.html
また、園内には秋篠宮家のご長男である悠仁親王殿下ご生誕の記念植樹もありました。
記念樹の万葉名は「まき」和名「コウヤマキ」で、「真木の葉のしなふ勢能山しのはずて わが越え行けば木の葉知りけむ」詠み人 小田 事(おだのつかふ)の標札が立てられています。
どこかで聞いたことのある和歌を探し歩くのも、心と体をリフレッシュするのにいい場所だと思いました。