架橋構想の芽生え

1889年5月23日(明治22年):香川県議会議員 大久保諶之丞が本四架橋を初めて提唱

明治22年5月23日 香川県議会議員の大久保諶之丞(おおくぼじんのじょう)が讃岐鉄道の丸亀-多度津-琴平線の開通祝賀会で、

『ここに本日を卜し讃岐鉄道開業の式を挙ぐ、予やその末班に列し、何んぞ一言の祝辞無かる可けんや。……塩飽諸島を橋台となし、山陽鉄道に架橋連結せしめなば、常に風波の憂ひなく、午後に浦戸の釣を垂れ、夕に敦賀の納涼を得ん。  実に南来北行、東奔西走瞬時を費さず、その国利民福これより大なるはなし。…いささか巳往と将来を述べ以て、本日の祝辞に代ふ。』 (「今、目の前に見えている島々を継いで橋を架ければ、悪天候にも左右されずに、あっと言う間に海を渡ることができる。その効果は計り知れない。」)

と挨拶し、列席者たちを驚かせました。