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せとうち美術館紀行 第3回 高松市美術館

高松市美術館 現代美術と匠の技に感動

 高松市美術館では、戦後日本の現代美術と20世紀以降の世界の美術、香川の漆芸・金工を核に、1500点以上をコレクション。イサム・ノグチや横尾忠則、奈良美智、村上隆、マチス、ウォーホルなど、巨匠からポップアートまで、年代やジャンルの幅広さ、質の高さは日本有数といわれています。

ミュージアムグッズ販売(エントランスホール受付隣)

エントランスホールの受付の隣で、ミュージアムグッズを販売。ここでは収蔵品の図録がメイン。特別展のグッズ売場は、展示室の出口に開設されます

アート鑑賞プログラム「アートで遊ぼう!」

小学3~6年生を対象にしたアート鑑賞プログラム「アートで遊ぼう!」では、美術館学芸員の方とともに展示を鑑賞したり、展示に関わる作品制作に挑戦。作品や作家のお話を聞ける子どもたちにとって貴重な機会です

美術専門の図書館(中2階)

中2階には、美術の書籍専門の図書館があります。閲覧のみですが、落ち着いた空間で、心ゆくまで堪能できます

高松市美術館 詳細はこちら

高松市美術館に関しての対談1

■出席者

 鳴門教育大学大学院教授 山木朝彦さん(以下山木)
 高松市美術館館長 久米憲司さん(以下久米)
 同館学芸員 山本英之さん(以下山本)
 同館学芸員 毛利義嗣さん(以下毛利)
 同館学芸補助 牧野裕二さん(以下牧野)
 同館学芸員 福井裕子さん(以下福井)

対談出席者のみなさん 対談出席者のみなさん

■対談日

2010年1月10日(日)

沿革について

山木:
私、高松市美、あるいは、市美というふうに呼んでおりますけれども、この美術館は市民の方からどのように呼ばれているのでしょう。どんな愛称をお持ちなんでしょうか。

久米:
そうですね、県のミュージアムがありますので、「市の美術館」という言い方が一番多いんじゃないでしょうか。

山木:
市の美術館ですか。わかりやすいですね。

久米:
そうですね。

山木:
それでははじめに、こちらの美術館の沿革についてお伺いしたいと思います。昔はこの場所にはなかったと聞いております。

久米:
はい。

山木:
どちらにあったんですか? 創設の背景を含めてお話しください。

久米:
ちょうど太平洋戦争末期の1945年の7月4日未明の空襲によって、この高松の市街地は一面の焼け野原になりました。しかし、戦後、復興の機運が高まるなか、1949年、年11月に、栗林公園の一角に高松市立美術館が開館いたしました。それはまさに戦後復興のシンボルであったといえるでしょう。
地元の芸術家をはじめ、多くの市民の皆さんからの強い要望を受けまして、戦後の公立美術館としては、全国で初めての美術館として開館いたしました。まさに、このことは私たち高松市立美術館に勤める者も、市民の皆さま同様、大変誇りにしているところです。
そのときの建物でございますが、同年に開催されました高松観光大博覧会の栗林公園会場を利用したものでございまして、地元の作家や市民による多彩な展覧会が開催されますとともに、院展や安井賞展など、全国規模の団体展の会場として、広く利用されてまいりました。
1987年、建物の老朽化によりまして、栗林公園内の美術館は惜しまれながらも閉館いたしましたが、現在でもなお、当時を知る作家や美術愛好家の心の故郷なのでしょう。懐かしく、その思い出が語り継がれております。

山木:
たしかに、公募団体展などに出品されてるご年配の作家の方々のなかには、栗林公園の高松市立美術館を自分の青春時代とともに懐かしく思い出されるひともおられるようですね。

久米:
そうですね、よくそういう話を伺います。

エントランスホールについて

山木:
それでは、現在の美術館について、お話を伺います。

久米:
ここは旧日本銀行高松支店の跡地です。そこに、1988年、昭和63年の8月に現在の美術館が開館しました。ちょうどこの年、瀬戸大橋が開通しました。時代の空気は、明るい未来への期待に満ちた時代でした。
まさに、こうした時代の空気を反映して、高松市民のみならず、香川県内の魅力的な美術鑑賞の場として、この都市型美術館が開館したといえるでしょう。
美術作品の収集、あるいは美術に関する情報提供という点でも、この開館から現在まで、着実な歩みを続けてきたと自負しています。また、市民のさまざまな芸術活動の場として、幅広い利用が可能です。これらの実績が、350万人を超える来館者数に表れていると思います。まさに、芸術文化活動の推進に大変大きな役割を担ってきたところでございます。
この建物について簡単に述べますと、設計は株式会社佐藤総合計画でございます。地下2階、地上5階、延べ床面積が約15800㎡ございます。そのうち、地下の方は市立の公営駐車場ということになっておりますので、美術館部分といたしましては地上部の約9876㎡ということでございます。展示部門、教育普及部門、収蔵部門、管理研究部門などの各部門に対応できる施設が整っておりまして、建築物としましても、訪れる方々から高い評価をいただいております。

山木:
この美術館に来て、最初に気付くのは、この美術館の素晴らしいロケーションです。
高松駅、商店街、そしてこの美術館まで、ずっと歩いてくると、クールで清潔感があるガラス張りの建物が多いことに気付かされます。そして、この美術館がこのような高松の街のイメージの一翼を担っている感じさえします。
入口はさりげない感じなのですが、この美術館の中に入ると、非常に大きいエントランスの空間が目の前に現れて、驚かされます。
今日は、その場所に、音が出る作品で話題を呼んでいる金沢健一さんの作品が展示されてありました。あの広い空間を生かして、作品の展示もしているのですね。このエントランスホールについて、少しお話伺えますでしょうか。

久米:
都市型美術館としの特徴を端的に表しているのが、このエントランホールです。このエントランスホールは高さが10mございまして、ガラス天井を持つ吹き抜け構造となっております。
南北の道路に連絡する2カ所に出入り口がありまして、通り抜けが自由。大変開放的な空間でございます。開館当初から話題になりましたが、現在でも、大変斬新な造りであることに変わりはありません。
街の通りや広場をイメージしたその空間には自然光が降り注ぎ、ホール中央部には流政之の作品を配しています。清水九兵衛や飯田善国などの現代彫刻も常設展示しております。近隣のオフィス街や商店街から、いつでも気軽に人々が集う場にしたいという願いがこのエントランスホールに表れていると思います。実際、ここは人の往来が絶えない場所なのです。
このような立地を生かしまして、毎年数回、美術館が主催いたしまして、コンサートやパフォーマンスの公演がここで行われます。ここは開放的な芸術文化の出合いの場だと言ってもよいでしょう。

山木:
このエントランスホールを使った催しということについて、もう少しここでお伺いしたいと思います。企画展のオープニングに先立って開催される催しについて教えてください。

山本:
そうですね。開館当初はエントランスを使って、定期的にコンサートやダンスパフォーマンスなどを開催していました。ご存知のように、不況が続くなか、経済的な事情で大掛かりなものができなくなりました。
ここ数年は特別展の開催に合わせて特別展の企画の内容にちなんだミニコンサートをウイークエンドのお昼どきに、30分ぐらい、地元の若手の演奏家の方にご協力いただいて開催しています。市民の方々もこの企画を楽しみにしていらして、毎回、多くの方々に聴いていただいています。これに続くかたちで、展示室での学芸員による展示解説につなげていく流れをつくるなど、工夫しているところです。

山木:
ユニークですね。そして、美術館で音楽が聴けるというのは、非常に魅力的なことですよね。

山本:
そうですね。地元の演奏家の方にも好評なんですよ。美術館という場で演奏することに興味を抱いていただいているようです。

山木:
こちらの開放的空間の中で、しかも、美術作品が並んでいるなかで、音楽が流れている感じは独特な快さを聴く者に与えるでしょう。高松の市民はとても贅沢な経験をしているような気がします。

山本:
現代は美術の作品も多様化しています。現在、展示している金沢さんの作品のように、自由に触って音を出せるようなものとか、映像の作品などは、エントランスホールが展示の空間として活かせる場合があります。一部の作品をあの空間に置いて、企画の展示に繋げて行くという方法も考えています。

山木:
この「せとうち美術館紀行」をお読みになっておられる方々には、高松市美術館にいらしたことが無い人もいると思います。そこで、少し、わかりやすくしておきたいのですが、あのエントランスホールは美術館の中にありますが、市民が気軽にアートにふれあう場として無料でいくつかの作品を見ることができます。

山本:
そうですね。通行が自由な場所であり、自然に作品を眺める空間です。

山木:
その開放感がある空間からスロープが続いて、企画展の会場につながる建物の構造が、面白いですね。
それから展示室に関しては、非常に大きいフラットな空間が確保されていて、これならば可動壁等でいろいろな企画に対応できるんだろうなと思いました。一言で言うと、展示に関して、柔軟性のある美術館ですね。

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