建物・町並み萬翠荘と愛媛県庁本館-木子七郎-

松山には「萬翠荘」と「愛媛県庁本館」という素晴らしい建物があり、設計者はどちらも木子七郎(きごしちろう、1884-1955年)です。これらの建物と木子七郎について紹介します。

萬翠荘(久松定謨(ひさまつさだこと)別邸)

萬翠荘は松山市のシンボル城山の南山麓にあり、松山藩主松平家(後に久松姓となる)15代の久松定謨伯爵の別邸として建てられたフランス風の建築で、1922(T11)年に完成しました。鉄筋コンクリート造地下1階、地上3階建てで、屋根は鉄骨トラス構造で、天然スレートと銅板が使用され、3階の採光用としてドーマー窓という小窓が設置されています。玄関ポーチから入ったところにある階段踊り場のステンドグラスが印象的です。

久松定謨は1883~1891年までフランスの士官学校に留学しており、1887〜1891年まで補導役として同行したのが、「坂の上の雲」で有名な陸軍軍人の「秋山好古(あきやまよしふる)」です。萬翠荘は、1922年11月善通寺で行われた陸軍の大演習に訪れた裕仁親王(昭和天皇)が、演習後に松山を訪問される際の宿泊施設として間に合うように建設されたといわれ、その後も昭和天皇・皇后夫妻を始め、何人もの皇族が訪問されています。

萬翠荘は、戦後に県立郷土芸術館などを経て、2009(H21)年から建物を一般公開され、各種のイベントに使用されています。また、2011(H23)年に国の重要文化財に指定されました。

この敷地内に復元されていた「愚陀仏庵」(漱石の松山時代の借家で、正岡子規が52日間転がり込んだところ。松山空襲で焼失した後1982(S57)年に再建された)」は、2010年7月の集中豪雨による土砂崩れのため倒壊した後、再建されていません。

萬翠荘 全景
萬翠荘全景
萬翠荘 階段踊り場のステンドグラス
階段踊り場のステンドグラス
萬翠荘 1F晩餐の間
1F晩餐の間
萬翠荘 旧管理人舎
旧管理人舎

愛媛県庁本館

愛媛県庁本館は、緑色の丸いドームを乗せた塔屋を中央に、左右対称に建物を配置した4階建ての洋風建築で1929(S4)年に完成しました。構造設計の担当は、東京タワーをはじめ日本各地のタワーを設計したことで知られる内藤多仲(1886-1970年)です。

外壁は、2階の窓下までは花崗岩の石張仕上げで、それより上は人造洗い出し仕上げとなっており、中央玄関と両翼の張り出し部の一部を文様で飾っています。

県庁本館は、知事が業務を行っている庁舎としては、大阪府庁舎(1926年)、神奈川県庁舎(1928年)についで全国で3番目に古い建物です。

県庁本館には、知事室や執務室のほか、貴賓室(皇族や賓客をお迎えする部屋)や正庁(表彰などの式典を行う部屋)などがあり、シャンデリアやステンドグラスなどの装飾が施されています。また、当時は珍しかったエレベータや電話ボックスが設置されています。

正面玄関のロビーの床は白と黒の大理石で出来ており、アンモナイトの化石があります。

県庁本館 全景
県庁本館全景
県庁本館 正門
県庁本館正門
県庁本館 正面玄関ロビー
正面玄関ロビー
県庁本館 正庁内部
正庁内部

木子七郎

木子七郎は、東大建築学科を卒業後、関西を中心に活躍し、新潟県庁(現存せず)や日赤大阪支部(現存せず)などの設計をしました。木子家は代々皇室のお抱え棟梁であり、父の清敬(きよよし)は東大造家学科(建築学科の前身)で教えたことがあります。木子七郎は、松山で県庁本館と萬翠荘の他、石崎汽船本社(1925年)のほか、現存しませんが松山大学本館や愛媛県立図書館の建設に関係しました。彼が愛媛で活躍したのは、妻の父親が新田長次郎(号は 「温山(おんざん)」といい、松山の実業家で松山高商(後の松山大学)の開設に尽力した)であったためといわれています。関西地方で現存する建築作品としては、関西日仏学院(1936年,京都)や温山記念会館(1928年,西宮)などがあります。