近代化産業遺産東洋のマチュピチュ -別子銅山-
別子銅山は日本三大銅山の一つで、住友グループにより1691年から1973年までの283年間掘り続けられました。標高1,210mのところから掘り始め、最深部は海面下1,000mにまで達しました。この間の採銅量は約65万トンとされています。
別子銅山は、公害(亜硫酸ガスによる煙害)への取り組みなどでも知られていますが、山を元の状態に戻すために、明治初期から植林を行っており、今では緑豊かな状態に戻されています。
閉山後は、「端出場(はでば)地区」と「東平(とうなる)地区」の2カ所に分けて整備され、2007年度に近代化産業遺産(経済産業省)に認定されました。特に、東平地区の索道基地・貯鉱庫跡は「東洋のマチュピチュ」として有名です。
端出場地区
端出場地区は、1930(S5)年から1973(S45)年まで設置された採鉱本部の跡地です。ここは銅山のテーマパーク「マイントピア別子」として整備され1991年にオープンしました。ここでは、ドイツ製のピントラス橋である芦谷川鉄橋(1983年完成)やトンネルをそのまま利用した観光用の鉱山鉄道や、観光坑道などの地中展示施設、砂金採り体験パークなどのほか、「道の駅」として温泉施設や売店・レストランが設置されています。また、旧水力発電所(1912年完成)、四通橋(1915年頃完成)、トンネル(第四通洞)(1915年完成)が残されています。
東平地区
東平地区は、マイントピア別子から車で約25分(約10km)行ったところにあります。(この道中に「遠登志橋」(レトロな橋を参照)があります)。道の途中から山沿いに曲がりくねった狭い道になります。東平地区は、1916(T5)年から1930(S5)年まで採鉱本部が置かれていたところで、最盛期には約3,800人が暮らしていたそうです。ここには、銅山関連施設や学校・病院・社宅・娯楽場・配給所などの生活関連施設が整備されていました。現在は、索道基地・貯鉱庫跡(東洋のマチュピチュ)、トンネル、変電所、生活関連施設跡地などが残されており、新たに歴史資料館や保安本部跡を利用したマイン工房などが整備されました。
東平への道は狭いため、マイクロバスを利用した定期観光バスが、マイントピア別子から午前・午後各1便運行されています(所要時間約2時間、期間は4月~11月)。
旧別子地区
東平地区から、さらに奥にある旧別子地区まで行けば、江戸時代から明治時代の産業遺産を見ることができます。
その他関連施設
新居浜市には、別子銅山の関連資料を展示している「別子銅山記念館(1975年)」(屋外にドイツ製の鉱石運搬に使用された蒸気機関車を展示)や、別子銅山の総支配人を努めた広瀬索平が1877年に建てた住宅(国指定重要文化財)や庭などの屋敷を公開している「広瀬歴史記念館」などがあります。