土木遺産(レトロな橋)遠登志橋

旧別子銅山の端出場地区を整備した「マイントピア別子」から、東洋のマチュピチュといわれる東平地区方面に至る県道を約1.5km行ったところに遠登志渓谷遊歩道があります。この道沿いに約150m行くと、アーチ橋と吊橋からなる遠登志橋(おとしばし)があります。遠登志は珍しい名前ですが、もともとは「落とし」と言われ、川の水が滝となって落ちるのを地名にしたもので、後で遠登志の字をあてたといわれています。

遠登志橋は1905(M38)年に建設された鋼製アーチ橋で、橋長48.3m、高さ23m、幅2.4mで、ドイツ人による設計といわれています。この橋は、別子鉱業所(現:住友金属鉱山)により、別子銅山の採鉱本部があった東平地区などへ通じる生活道路橋として架けられたもので、銅山の坑内排水が川に混入しないように坑水路が併設されていました。

戦後、地元自治体(現、新居浜市)に寄付されましたが、アーチ橋の老朽化にともない、1993(H5)年に補強工事が行われるとともに、アーチ橋の直上に吊橋が架けられました。なお、アーチ橋と吊橋はそれぞれ独立しています。

明治時代の鋼アーチ橋は我が国に十数橋ありますが、当時の姿を残しているのはこの橋だけといわれています。2005年に国の登録有形文化財に、2007年に別子銅山関連遺産として近代化産業遺産(経済産業省)に選定されています。

遠登志橋
遠登志橋
遠登志橋