建物・町並み大洲の懸け造り(かけづくり)建築 -中野兄弟-
伊予の小京都といわれる愛媛県大洲には、黒川紀章(1934-2007年)が絶賛したといわれる「臥龍山荘」をはじめ、懸け造りの建築が3棟あります。これらの3棟を作った棟梁は、大洲の中野兄弟といわれています。
懸け造りとは、急峻な崖や山の斜面にへばりつくように建てられた建築のことで、「懸崖造り(けんがいづくり)」とも「崖造り(がけづくり)」ともいいます。懸け造りの建築としては、京都の清水寺本堂が有名ですが、日本を代表する建築は鳥取県の三徳山三佛寺投入堂といわれています。この投入堂はおすすめですが、山登りが必要となるため制約事項(靴、同行者など)がありますので、事前に三佛寺のWebサイトでチェックして下さい。
臥龍山荘・不老庵(がりゅうさんそう・ふろうあん)
臥龍山荘は大洲出身の貿易商・河内寅次郎(こうちとらじろう)が、愛媛最大の河川である肱川(ひじかわ)沿いに建てた、「臥龍院(がりゅういん)」、「不老庵(ふろうあん)」、「知止庵(ちしあん)」という3つの建物と庭園からなります。
○不老庵:棟梁・中野虎雄により建てられ1901年に完成しました。不老庵は、肱川の臥龍淵の崖の上に立てられた数寄屋造りで、生きた槙の木を「捨て柱」として使用されています。また、曲線の舟形天井が印象的です。
○臥龍院:この建物は、桂離宮などを参考に、京都の建築家八木氏を相談役にして、千家十職(せんけじゅっそく。千家の流れを組む茶道具職人の中で、金物師・表具師・指物師・塗師などを担当する十家をいう)の名工達を呼び寄せて、構想10年・工期約4年をかけて、1907年に完成しました。施工は草木国太郎(京都)と中野虎雄(大洲)です。
○知止庵:当初浴室だったものを、後で茶室に変更したものです。
臥龍山荘は、2011年にミシュラン・グリーンガイド・ジャポンにより一つ星に選定されました。
少名彦神社・参籠殿(すくなひこなじんじゃ・さんろうでん)
少名彦神社は、出雲風土記において肱川で亡くなったとされる少名彦命(すくなひこなのみこと)が埋葬された神陵(しんりょう)と伝えられています。
参籠殿は、地元有志らの寄付により1934年に建てられた延べ床面積128m2の木造平屋で、床下の懸け部分の高さが8.3mです。棟梁は中野虎雄の弟である中野良次といわれています。
2013年10月、WMF(ワールドモニュメント財団:米国にある歴史的建築物などの保存運動を行う非営利団体)が、世界67カ所の「危機遺産」リスト(2014年版)に、日本から東日本大震災で被災した文化財と小名彦神社・参籠殿の2件を選定しました。
参籠殿は、従来から市民有志により改修が行われてきましたが、痛みが激しくなってきたため、2014年度に本格的な修復工事が行われました。
如法寺・毘沙門堂(にょほうじ・びしゃもんどう)
如法寺は、大洲盆地の冨士山(とみすやま)中腹にあり、1669年に、大洲藩主2代加藤泰興により建てられた臨済宗妙心寺派の寺院です。仏殿は創建時代の建築で、禅堂を兼ねた珍しい形式の建築物で国の重要文化財に指定されています。仏殿は、2014年度に補修のため半解体工事が行われました。
毘沙門堂は山門の手前にあり、1908年に棟梁・中野虎雄により建てられました。現在は、残念ながら屋根が落ち半壊状態となっており、立入禁止のロープが張られています。崩壊する前に修復して、貴重な文化財を後世に残してほしいものです。