建物・町並み四国の歴史ある町並み
四国の町並みで、重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)に指定されている7地区の中から、観光地としても魅力的な以下の4箇所を紹介します。
- 愛媛県内子町八日市護国
- 愛媛県西予市宇和町卯之町
- 高知県安芸市土居廓中
- 徳島県美馬市脇町南町
内子町八日市護国(愛媛県、精蝋町)
内子町は、四国遍路道や金比羅街道などが放射状に伸びる交通の要衝で、宿場町として賑わうとともに、和紙や木蝋の生産地として江戸時代中期から大正時代にかけて繁栄しました。特に、江戸時代末期から明治時代に、「櫨(はぜ)の実」からとった「木蝋(もくろう)」を良質の白蝋に精製して海外に輸出するなど、地場産業として大いに繁栄しました。
八日市護国の町並みは、蝋商の芳我家(はがけ、本芳我家から上芳我家などが分家した)を中心に、白や浅黄色の漆喰塗り・大壁造りの2階建て建物が600mにわたって連続しており、なまこ壁や鬼瓦等が印象的です。また、町並みの中間にある「本芳我家(邸内は未公開、国指定重要文化財)」の漆喰を使った鏝絵(こてえ)は見応えがあります。
内子町には、1916(T5)年に歌舞伎劇場として建てられた「内子座」や、木蝋の豪商屋敷である「上芳我家住宅(国指定重要文化財)」の居住施設や木蝋生産に関する建物や資料を見学できる「木蝋資料館・上芳我邸」などがあります。また、内子・内子八日市通り・内子座は、ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンで一つ星に選定されています。
西予市宇和町卯之町(愛媛県、在郷町)
宇和町卯之町は江戸時代に宇和島藩の在郷町として栄え、江戸時代中期から昭和初期の建物が残されています。画一的な地割りが特徴で、妻入や平入が混在しています。
宇和町には、西日本最古として1882(M15)年に建てられた洋風の「開明学校」(国指定重要文化財)や、全長109mの長い木造廊下が残された「宇和米博物館(旧宇和町小学校を移築)」などがあります。
安芸市土居廓中(どいかちゅう)(高知県、武家町)
土居廓中は安芸平野の中央に位置し、土佐藩の山内一豊により安芸城(現存せず)を預けられた家老・五藤氏が屋敷を構えたところで、家臣団の居住地として町並みが形成されました。今でも、昔のままの狭い道路に沿って、ウバメガシや土用竹の生け垣に囲まれた武家屋敷があり、五藤家家臣の野村家が一般公開されています。
安芸市には、1887(M20)年頃に地主の畠中源馬さんがアメリカから八角形の掛時計を取り寄せ、すべて手作りで完成させた時計台である「野良時計」や、三菱の創始者である岩崎弥太郎(1835-1885年)の生家があります。
美馬市脇町南町(徳島県、商家町)
「うだつ(卯建)」で有名な脇町は、徳島県のほぼ中央、吉野川の北岸にあり、古くから吉野川の水運で栄え、江戸時代以降は阿波特産の藍や繭の集散地として昭和初期まで繁栄しました。
「うだつ」は、屋根下の2階の両側に取り付けられた漆喰塗りの防火壁のことですが、時代を経るにつれて、「うだつがあがらない」といわれないよう、財力を象徴するための装飾的な意味に重きがおかれるようになったといわれています。
脇町では、1829年の大火により約170軒が消失したことから、それ以降「うだつ」が作られるようになり、うだつの町並みが残されました。脇町のうだつは、ほとんどが本瓦葺「寄棟」で、鬼瓦をつけたデザインが特徴といわれています。
脇町には、1934(S9)年に芝居小屋として建てられた「脇町劇場・オデオン座」があります。舞台には、内子町の内子座と同様に回り舞台があります。戦後は映画館となり、老朽化のため平成7年に壊される予定でしたが、映画「虹をつかむ男」(山田洋次監督)の舞台となったことを契機に、保存されることになりました。